生まれてきた存在は、
いつか必ず死ぬ。
頭ではわかっていても、
受け入れ難い時がありますよね。
それが自分のことであっても、
大切な存在であっても、
自分にとって、その存在感が大きく、
代え難い支えになっていればいるほど、
それを失った時の喪失感や悲しみなどが
襲ってくることへの恐れから、
その死を受け入れないことで
自分を守ろうとすることがあります。
そうでないと、とても自分を支えて
この世界で立っていることが
できないからです。
でも、
まだその存在を失う前にせよ、
失った後にせよ、
その事実に直面しないことによって、
本当は祝福された美しい瞬間になるはずだった
多くの時間を、恐怖と絶望に満ちた
最悪の時間にしてしまうのです。
そうして、
それらの絶望や喪失感に苛まれた心を
切り離し、封印して自分に嘘をついて
その後の人生を死んだように生きます。
そんな体験をしたことがある方が
いるのではないでしょうか。
あるいは、今まさにそのようにして
生きているでしょうか。
もしそんな状態でいるのだとしたら、
あなたの心が再び息を吹き返し、
人生に生き生きとした色彩を取り戻していく
方法はあります。
ただしそれには、
あなたが最も避けたかったことに直面し、
受け入れていくプロセスを通過していく
必要があります。
あなたがそれを絶対的に拒否し、
本来の人生の流れを止めてしまったことで、
あなたは自身の人生に癌細胞のような
不調和なしこりと不自然な歪みを
あちこちに作り出してしまいました。
であるならば、
再び人生の本来の流れに戻っていくことが
調和の状態にしていくことのカギになるのは
道理です。
その出来事に直面してしまったら耐えられない
と感じているから止めているのでしょうが、
腹を決めれば、
ちゃんと直面していく力は
あなたの中にあるのです。
今ここに踏みとどまって、
自分自身から離れないで、
しっかり命の呼吸をして
自分の中で湧き起こるものを
体験していきましょう。
あなたの中にある孤独感や絶望感、
悲しみや無価値感、無力感、淋しさは、
根本的には、最も辛い時に、
あなたが自分を見捨てて
人生から逃げ出してしまったが故に
見捨てられた自分が感じている
気持ちなのです。
その人を失ったが故のものではないのです。
ただ、その人を失った現実によって、
トリガーされているだけなのですね。
そうして、見捨てられた自分の気持ちは、
あなた自身によって封印され、
触れてはならぬもの、無かったことにされて
心の奥底に沈められます。
その、かつて見捨てて封印してきた
自分自身をお迎えに行くのです。
もうあなたを見捨てないよ。
迎えに来たよ。
と、時を止めて今この瞬間もその絶望の中にいる
自分の側にいて、抱きしめてあげてください。
そうすることで、
あなたの中の絶望感や悲しみ、孤独や不安は
癒えていきます。
あなたがずっと側にいてほしかった、
守ってほしかった存在の正体は、
外側に見える、誰でもないのです。
置き去りにしてきた自分をお迎えに行けるのは、
自分だけです。
他の人ではダメなのです。
自分自身をお迎えに行って、
抱きしめることができたとき、
あれほど絶望的だった孤独や淋しさは、
必ず癒えていきます。
だから、それさえ知っていれば、
絶望に打ちひしがれて立ち上がれなくなる、
ということはないんですね。
自分が自身を見捨てなければ、
世界があなたを見捨てることは
ありません。
あなたが自分にしたように、
世界からされるからです。
だから、自分がしてほしいことを
自分にしてあげればいいのですね。
そういう風に、
本当に自分を大切にしていると、
この世界にどっしりと根を張って、
出来事を受け止めて生きる力が
湧いてきます。
そうやって起こっている現実に向き合うと、
以前は混乱し、疲弊しきっていた悪夢が、
落ち着いて対処できる現実に変化していきます。
すると、
それまではどうしても見えなかった
その出来事の別の側面を見ることが
できるようになります。
焦りと不安、絶望に満ちた時間は、
美しい愛と幸せに満ちた、
祝福された時間になります。
最悪の出来事は、
祝福すべき人生の区切りと、
新しいステージの始まりとなるのです。
時を止め、凍り付いていた人生は、
再び光を取り戻し、生き生きと
躍動を始めます。
最悪の悪夢にするか、
祝福すべき美しい恩寵にするかは、
自分自身の在り方ひとつなのです。
本当に、これだけ違うのですよ。
悪夢にしたくないのであれば、
目をそらしてはなりません。
しっかりと受け止めて、
自分とともにいることです。
それを通過することで、
あなたは人生のより深いレベルの
恩寵を体験していきます。
それが、この世界を卒業していく魂からの、
あなたへの贈り物。
どうぞ、受け取ってあげてくださいね。