先日のセルフワークの取り組みで、
今までつるつる逃げていたところに
踏み込めたせいか、現実の質感が
少し違って感じられるようになりました。
ワークが進むと、こんな風に、
自分が生きている世界が変わっていきます。
世界が変わっているんじゃなくて、
自分が変わっていっているんですよね。
感情解放ワークは、概念だけではなく、
実際に体の中でしこりになっていたエネルギーが
消えて流れが良くなったりするので、
そういう変化が精神的にも、肉体的にも
結構色々表れてきます。
慢性的な体の不調が改善したというご報告を
いただくこともありますし、
ヨガで今までできなかったアーサナが
できるようになったというお話もお聞きします。
心と体はつながっていると言いますが、
確かに、心のわだかまりは、
様々に体に影響を及ぼしています。
そしてまた、意識レベルでも
それは間違いなく影響していて、
受け止めがたいもの、逃げていることがあると、
意識は鈍く、歪んでいくのです。
普段はそれがデフォルトになっているので、
自分の意識が鈍くなっているなど
なかなか気づけないものですが、
統合されて、抜けてしまえば
こんなにも閉ざされた意識の世界で
生きてきたのか!と驚くばかりです。
私たちは知らず知らずのうちに、
触れたくないもの、見たくないものに
抵抗しているものです。
その時に、ぐっと体が緊張するのと同時に
エネルギーラインやチャクラが
閉ざされるのです。
すると、それに関連した部分の感覚が
鈍くなるか、欠落します。
こうして世界に対する感受性が歪み、
捉えられない状態になって、
意識の死角を生むのです。
逃げていないつもりでいても、
どこか揺らぐものがあるときは
自分でも気づいていないところで
逃げているものがありますし、
意識が深まらないときは、
自身のあらゆる領域において、
拒絶しているものがあるのです。
それは、自分のせいではなく、
誰かや何かのせいだと思っていたもの
かもしれないし、
諦めていた可能性への蓋や拒絶
なのかもしれません。
諦めというのは非常にトリッキーな
ところがありますが、一見、
受容したように見えてしまうところが
あるからです。
自分は受け入れたのだと言っていても、
実は抵抗自体は残っていて、
それがエネルギー的な蓋(ブロック)を
作ってしまうときがあります。
本当に受け入れたのではなく、
辛いから、ただ蓋をして感じなくしただけ
なんですね。
だから、ワークにおいて
諦めは感情の蓋なのだと私は繰り返し
お伝えしているのです。
本当に受け入れたのであれば、
エネルギーのしこりはないし、
そのことに対して分離はないはずですが、
諦めた場合は分離と断絶が
一目瞭然に見て取れます。
そして何より、そのテーマに向き合った時、
明らかに活力がなく、エネルギーが
枯渇した感じがします。
受容した部分にはエネルギーが
循環しますので、そういう風には
ならないんですね。
すべてが一体となって、
さらに深まり、拡大していく。
それが受容なのです。
抵抗していたものを受け入れると、
確かにそこに一時的に痛みや混乱が
起こります。
けれど、そういうのもすべて
受け入れ続けていった先に、
統合と調和、平安が訪れるのです。
痛みや混乱は、それ自体が悪いということは
ありません。ただ、起こるべきことが
起こっているだけです。
そういうプロセスを上手に通過していく
ことが大事です。
そうやって、少しずつこの世界や自分自身と
和解が進むほどに、意識が深まるのと同時に
自分自身の根っこが深く深く伸びていきます。
だから、根っこを深く張りたければ、
自分や世界との和解が必須なのです。
これらを拒絶して、
根を深くし、軸を確かなものにしよう
というのは無理な話です。
自分はどれだけこの世界を受容し、
和解しているだろうかと改めて問うてみれば、
思っていた以上にずっと、
私はこの世界を拒絶していたことに
気づきました。
10年前よりは随分、
自分の生きる世界を愛せるようになった
と思っていましたが、まだ本当には
この世界で生きることにコミット
できてはいなかったようです。
もっとこの世界が差し出しているものを
しっかりと受け取っていこう、
と決意を新たにしたところです。
そうして、自身の内の拒絶の感覚を
じ~っと感じていたら、
それは子供のころのある時期にできたことが
はっきりとわかりました。
未だに、しっかりと残ってるんだな~
と感心するのと同時に、日ごろ確かに
この感覚は感じていて、後頭部部分の
不活性な感覚につながっていました。
さて、伸びしろが見えてきましたね。
さらにセルフワークを進めていきます。