今の世の中、人々の間に
必要以上に恐怖や不安が掻き立てられ
過ぎていないかな、と思うときが
日々あります。
自分にどこまでのリスクが取れるのか、
リスクの本質を適切に把握して判断し、
冷静に対応すれば良いだけのはずなのに、
頭の中で、あまりにも現実と乖離した
体感の伴わない恐怖が日々煽り立てられ、
わけのわからないモンスターに怯えるように
人々は日々不安の中で消耗していく。
そうして募ったストレスはいつも、
社会的にも、家庭の中でも、あるいは
自分の中でも、どこか弱いところに
しわ寄せが行くのです。
上手に息抜き出来たり、
リスクに対応できる人はそれほど
パニックになったりストレスを抱え込むことも
少ないのですが、
既に精神的にも物理的にも
いっぱいいっぱいの状況にある人ほど、
どっぷりと不安と恐怖に飲み込まれていくので、
そういう時は、
落ち着いて自分の感情に対処していくことに
少しでも意識を向けられたら、
状況はそれほど変わらなくても、
ぐっと生きやすくなっていきます。
でも、こういう時代だからこそ、
多くの人が否応なくものごとの本質を見つめ、
自分自身の人生についてより深く考え、
自分で決断する、ということの実践を
させられているのでしょう。
パンデミックと言われるものが始まって
一年半、どうにかこうにか過ごしてきて、
それまでしっかりとした自分自身の軸というか、
行動基準というものを持たずに流されてきた人は、
そのまま周囲に何となく流されていく人と、
その中でも自分の在り方を模索して
自分なりの結論を出そうともがく人に
わかれて行っているように思います。
そしてそれまでに、ある程度
自分の軸がしっかりできていた人は、
この混乱の世の中でも本質をしっかり見極めて、
誰が何と言おうと、自分の道を貫いて
歩んでいるように見えます。
私たちが自分の軸をしっかり持って
行動できるようになるためには、
自身の内に湧き上がる感情に対処する術を
ある程度マスターしていることが重要で、
それができないと、不安や混乱、恐怖に
容易く煽られて、それらの感情がどうにかして
収められる選択が第一になってしまいます。
つまり、それらの感情に飲み込まれて、
冷静な状況判断ができず、
単なる場当たり的な逃避の、小手先の対処を
してしまいがちになるわけです。
一時的に不安が収まったとしても、
必ずしもそれが本質的に最良の行動に
なっているかは、別の話です。
中長期的なところまで見て、
今やるべきことを判断しようとするとき、
そうした落ち着かない感情に巻き込まれた状態で
状況を正しく見ることなどできないのは、
明らかでしょう。
だからこそ、特にネガティブな感情に
煽られているほどは、注意深く在って、
まずはその感情に対処することが先決です。
待ったなしの判断を毎舜求められる状況も
あるでしょうが、その場合でも、少なくとも
自分の内にどんな感情が湧き起こっているのかに
気づいていましょう。
そして、それを押さえつけ、抑圧するのではなく、
それを深く呼吸をして感じながら、
なすべきことをなしていきます。
そうすると、抑圧するよりも
煽られ、駆り立てられる衝動は
多少なりとも少なくなります。
抑圧した方が、実は無意識領域から
気づかない内に大きな影響を受けて
視野が狭くなっていたり、欠けていたり
するのです。
だから、感じないようにしているよりも、
あまり心地はよくないけれど、
感じ、受け止めながらいられる状態の方が
より健全だと思います。
抑圧された感情のカケラ君は、
押さえつけられるほどに暴れてモンスターに
なります。
カケラ君をいかにモンスターにしないように
扱えるかは、やはり感情をマスターすることに
どれだけ習熟しているか、に左右されます。
そして、
自分の感情に適切に応答できるようになると、
自分自身への信頼感や自己肯定感も、
ぐっと増してきます。
この感覚が、「自分軸」のベースになるんですね。
自分の中に棒のようなイメージを作るような軸では、
世の中の荒波を渡っていくような、実践に耐えうる
ものにはなりません。
何より、自分の軸というからには、
自分がお留守ではいけませんね。
自分が信頼できない人は、
自分が嫌いで自身に背を向けている人です。
そういう人は、何か判断するときに、
自分自身の確かな感覚を捉えることができません。
だから、頭でっかちな情報過多になり、
自分の肌感覚とか、地に足の着いた感覚で
ものごとを見られず、誰か権威あると思える
他人の意見に流されるのです。
みんながやっているから、と言っても
自分はどうなのかは自分でリスクを検証しなければ
なりません。
あなたはそれらの人と心も体も
背負っている条件も違うのです。
おのずと、取れるリスクの方向性や
質や量も違うでしょう。
ある程度、判断の材料となる情報を集めたら、
最終的には自分で感じるものに心を澄ませて、
きちんと心と体、魂と対話しましょうね。
あなたにとって、
最高最善の守護と導きがありますように。