愛する力が人並み以上にあるのに、
何らかの理由で愛することを
制限している人にしばしば出会います。
こういう方は、
本当は溢れんばかりのその愛を
他者に惜しみなく注ぐことで、
自分も周囲も幸せにしていく人なのですが、
そういう自然な在り方を止めることで、
その方は非常に苦しい人生を
歩むことになります。
愛することは、ポジティブなことのはず
なのに、なぜそれを制限するのか
と思われるかもしれませんが、
大抵はそのことによって何か
深く傷つく体験をして
自ら閉ざす場合と、
その「情の深さ」を見た周囲の人、
大抵は親などから幼少期にくぎを刺されて、
そうしてはいけないのだと思っていたり、
セーブする癖をつけてきたなどの
ケースがあります。
「愛する力」を「情の深さ」と言い換えると、
かなり感じ方が変わると思いますが、
その情にエゴが絡むと、他者を束縛したり、
関係性を破滅的なものにしたりと
ドロドロなイメージになってしまいます。
けれど、要はそのエネルギーを
いかにマスターするか、という問題であり、
「情の深さ」自体が問題なのではありません。
自分の中にある溢れんばかりのエネルギーを
正しく扱える力を身につければ良いのです。
これは、情の深さだけに言えるものではなく、
人並外れたギフトを持つ人それぞれに、
言えることだと思います。
人は、自身が持って生まれた特性を
生きていく中で、石ころをダイヤモンドに
磨き上げるようにしてマスターしていくことで
その人生での課題をクリアしていくのです。
ギフトは、最初からキラキラな善きものに
見えないこともしばしばです。
時にそれは、決定的な弱点や短所として
認識されることもあります。
けれども、どうにかそれと折り合いをつけて
生きていく道を模索し始めていくと、
それ自体がその人の人生を導いて
いくようになります。
そうして、その探求の中で
様々な出会いや学びを得ながら、
その人独自の唯一無二の道を
切り拓いていくのです。
話は戻って、
情が深い人は、念や思いの力が強い人
と言い換えることもできるでしょう。
その力をネガティブな方向に
向けることもできるし、
そうではない方向で使うことも
できます。
情が深い人が
最も気を付けなければいけないのは、
その情に自ら飲み込まれていくことと、
それによって自分がお留守になって、
足元をすくわれていくこと、
そして、相手をその思いのエネルギーで
飲み込み、コントロールしようとする
傾向でしょうか。
念が強い分だけ、そうではない人に比べて
これらの傾向が発動したときの破壊力も
大きくなるので、ぜひともこれは早い内に
マスターしておかなければなりません。
逆に言えば、ここさえマスターできれば、
情の深さはその人にとって大きな武器にもなり、
また周囲の人にとっても
この上ない福音になりえます。
要は、使いようなんですね。
変に蓋をして抑えるだけでは
みすみす素晴らしい武器を封印している
ようなものです。
それを使って、どれだけ周囲を幸せにし、
自分も喜びの人生を送ることができるか。
実にもったいない話です。
大きな感情のエネルギーに飲み込まれずに
しっかり受け止め、その中でも
自らを見失わずにいられる精神力を
身につけましょう。
自身の内に湧き上がる、
言いようのない衝動に、気づいていましょう。
そしてもしその衝動の奥に、
自分が逃げようとしている何らかの痛みが
あるのなら、しっかりと手当てをして
統合しておくこと。
そうすれば、衝動に振り回されずに
冷静にものごとを見て適切な判断を
下せるようになります。
特に、誰かをコントロールしたい衝動には
よくよく気を付けなければいけません。
自分自身が引き受けるべき心の隙を
相手に埋めさせようとしていないかどうか。
立場は色々あったとしても、
各々が一個の自立した存在同士として
フェアな関係性でいるのかどうか。
相手があなたのニーズに応えなかったとしても、
相手にはNOと言う権利もあるのです。
相手はあなたのために生きているわけではなく、
その人はその人自身のために生きているのです。
そして、あなたもまたそれは同じこと。
昨日も書きましたが、
自らの情の深さに振り回されないためには、
自身の責任をしっかり果たすことが
カギになってくるでしょう。
それさえ見極められれば、
あなたは自身の愛を、自他を生かすために
惜しみなく注ぎ、循環させることが
できるでしょう。