決意を新たに

本当に悩ましい。
どうしたものか、と、気が付けば、
最近はずっとそんなことを考えています。

流行り病自体のことは、
もう自分の中では迷いはないのだけれど、
お注射に関してどう向き合うのか。

もちろんそれは、
打つ打たないではなくて、
それぞれの選択の結果を、
自分の中でどう捉え、受け止めていくのか
という部分で。

色々な人が言う言葉に、
様々に反応する自分がいて、
傷ついたり励まされたり、動揺したり。

ときに、自分の発信する情報が
人々の中で様々に呼び起こすだろう
恐れや不安について、怯んだり。

お注射を打つことに関して、
これまで自分なりに
エネルギーを読みとったことから見て、
私の中ではまだポジティブな意味合いを
見つけられていません。

私の視野が、それに対して
ネガティブに、恐れや不安で曇っている
せいかもしれません。

私が読み取ったものですから、
私だけの私見であり、証明するものは
ありませんしね。

それでも現に、
打った人や、自分は未接種でも
接種された方の側に一定期間(時間)
接触された人にエネルギーを流すと、

これまで普通に流れていた方でも
ものすごく流れが悪かったり
反応が鈍いのを実際に感じているし、

ご本人の自覚は別として、
意識のエネルギーが鈍くぼやかされている
のを感じます。

自分と言う存在の輪郭が曖昧になっている
印象なのです。

恐らく、
これまでよりもうまく考えがまとまらないとか
ボーっとする時間が増えたとか、
自分が自分でないような感じなどが
あるのではないかな、と思います。

また、
エネルギーフィールドにも特有の乱れと、
それまで私は見たことがないような
独特のエネルギーが出ているのを
しばしば見かけます。

この独特のエネルギーに関しては、
量的に個人差はありますが、
周囲の人に影響を与えているようです。

この他、色々な情報を得ていますが、
どこまで、どんな風に伝えていくのが良いのか、
私の中で定まっていないのですね。

それは、この接種をどう捉えるのか、
私自身に迷いがあるからです。

打ちたい人は、打てばいい。
ただ、その判断の前に、
自分自身で考えを尽くして
決断してほしい、と願ってます。

スピリチュアル系の人の言う、
打っても、打たなくてもどちらでもいいのだ
という言葉に、安易に飛びつかないで欲しい
とも思います。

確かに、どちらでもいいのです。

けれど、その選択の結果は、
決して同じではありません。

どちらの選択であっても、
死ぬときは死ぬし、生き残るときは
生き残るでしょう。

けれど、それはどのように?
というところで全く違うと思います。

どちらでもいい、という結果だけ受け取って、
自分で考えを尽くすことをせぬまま、
思考停止しないで欲しいのです。

同調圧力に屈しないで自分の意志を
貫き続けて生きることは、
苦しいかもしれないし、

みんなと同じ、一緒に打つんだというのも、
その在り方が本当に楽かどうかはまた別です。

その選択に至るまでに、
自分のこれまでの在り方と、
今後の人生が凝縮されているのです。

だから、
たかがお注射だけれど、今回に関しては、
全人生かけるくらいの気持ちで、

どんな肩書きの人の言う意見でも、
容易く鵜呑みにしないで、
本当に本当に自分自身に問うて
決めて欲しいと思います。

それから、スピ系の人の言葉で
ものすごく私が引っかかっている言葉が
もう一つあって、

昨日もその同じ言葉を別の人から聞いて
やっぱり私は同意できないと思ったのですが、
自分で臨む世界を創造するという類の言葉。

つまり、自分が信じたことが、
現実になるってあれね。

まぁ、それはそういうところもあるよね
って思いつつ、でもね、

私は飛べるんだ!って本気で信じてたら、
ビルの10階から飛び降りても飛べるかね!?
って思うのですよ。

中には、ヨーガの大家の成瀬先生みたいに
空中浮揚したり体が透けてしまったり
Kan.さんみたいにテレポテーション
できる人もいるでしょう。

私はその現象を否定しないし、
彼らだったらそれは可能だ、
と信じてもいます。

でも、多くの人はそうじゃないですよね。

海外では、お注射推進派の医師が
接種後に亡くなった話もあるし、
インドの高僧ですら、酷い副反応に
悩まされているという話も聞きます。

本当に、完全に「ヒマラヤ聖者への道」
に出てくる大師たちのようなことが
普通にできる人以外は、

あくまで自分自身が生きている
現実レベルから捉えるべきだと思っています。

昨日Facebookのフレンドさんが
シェアしてくださっていた
この言葉が、心に刺さりました。

重ねた罪にも抱擁を。
絶望の淵でも笑顔を。
失意の底でも感謝を。
憎悪の先にも慈悲を。
非情な結末にも救済を。

これ、なんと2017年に
JRの駅に貼られた「鬼滅の刃」の
ポスターの文言だそうです。

非情な結末にも救済を。

迷いや不安、時に絶望や怒りを覚えても、
私はこの時代に全力で救済を見つけよう。

そんな決意を新たにした次第です。

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