まず初めに、私が書く記事は、
特定の誰かを想定したものではありません。
きっかけになる出来事はあるかも
しれませんが、それはあくまで糸口で、
それ以上のものではありません。
自分のことかな?と思えたら、
それはそれで、ご自身を見ていく
きっかけにしていただければ幸いです。
ということで、今日の話題は
自分が嫌いな人について。
自分に欠けているところ、できてないところ、
劣っているところばかりを見つけては、
こんな自分じゃダメなんだ、と
四六時中自分をいじめてしまう。
そして、ダメな自分じゃなくて、
もっと「良い自分になろう!」と
頑張ってしまう方、少なくないようです。
けれど、そうすればするほど、
辛くて苦しくなってしまうんですね。
多分、そう頑張ってしまう人は、
在りのままの自分では愛されない
と信じているし、
こんな自分は矯正されるべきだ、
と疑いもなく思い込んでいるので、
内なるカケラ君は
自分が在るがままに愛されないことが
ひどくショックで悲しくて、
そして絶望してしまうのです。
そしてそのカケラ君の気持ちは、
自分の普段の気分の中に滲み出していきます。
周囲の誰かが在るがままの自分を
愛してくれなくて、悲しくなって
絶望するのです。
これが鏡の法則で、
自分が自分自身(カケラ君)にやっているように、
誰かが自分にそういう態度を取ってくるんですね。
だから、自分の態度を改めずに
いくら周囲の誰かに自分を愛して!
って願っても、それは絶対に叶わないのです。
まずは、自分が在るがままの自分を
愛さなければ。
それがスタートであり、
逆に、それができてしまえば、
絶望に満ちた世界はその瞬間から
変わっていくのです。
今でこそ、自分を愛することが大事!
とお伝えする立場の私ですが、
何を隠そう、20代の頃は、
世界で一番嫌いで信用できない存在が
自分自身でした。
毎日、自分なんて死ねばいいと思っていたし、
世界から消えてなくなりたいとか、
居るだけで害悪とすら思っていました。
なんでこんな自分が生きているのか、
本当にわかりませんでした。
今振り返ってみると、
何ともひどいことをしていたな、
と胸が痛くなります。
こんなにも自分を呪っていては、
幸せになるはずがないですね。
けれど、自分でかけた呪いなら、
自分で解くことができます。
自分を愛すること、受容すること、
祝福することは、何かの条件が整うから
できるとか、するようなものではありません。
何ら条件なく、今すぐそうしても
良いのです。
足りないところだらけでも、
できないことばかりでも、
何も持っていなくても、
それでも自分を愛し、受容し、
祝福すればいいのです。
誰の許可が要るわけでもありません。
自分がそうする!と決めれば、
誰かがそれに異を唱えても、
何ら関係のない話です。
簡単でしょ?(^-)
え?簡単じゃない?笑
そうですね。
でも、だって、こんな自分じゃ
受け入れられないって
思ってしまうのですよね。
嫌なんですよね。
その気持ちも、ものすごくよくわかります。
きれいな、条件の整った自分に
何としてもなりたいのですよね。
でもそれはなぜでしょう?
何のために、そうなりたいのですか?
愛されるために?
受け入れられるために?
惨めな思いをしないで済むように?
愛されないのも、
受け入れられないのも、
こんなにも惨めな思いをするのも、
自分ができないから、足りないから、
こんなだからだと思っているわけですね?
だから、そんな自分をきれいに
消し去りたいのですね。
でも、今のその辛さの原因は、
まったくもって、自分が考えている
ようなところには無いのだとしたら、
どうですか?
そして、その本当の原因は、
あなた自身が本来受け止めるべきものから
ひたすら逃げていることだとしたら。
全くの責任転嫁をしていることになります。
実際、そうなんですよ。
見当違いの努力をしていることに
なるのです。
愛されない辛さ、淋しさ、絶望感、惨めさを
ただそのまま、何のせいにもせず、
逃げないで受け止めて生きれば
良いだけなのです。
でも、本当にしなければならない
それをしたくないから、犯人を別に仕立て上げて、
それのせいだ!って言い立てて、
消そうとしているんですよね。
どれだけそれをしても、
求めている幸せがやってくることは
ありません。
自分が逃げているものを捉えるのは
なかなかに難しいかもしれませんが、
ここが転換できると、実際に人生は大きく
変わっていきます。
本当に責任を取るべきものを
間違えないことです。
責任転嫁をし、誤魔化し、逃げている人は
独特のバイブレーションを放っています。
委縮し、卑屈になり、どこか
後ろ暗さを抱えています。
これを、委縮しないようにしようとか、
そこだけ直そうとしてもダメですよ。
逃げずに、直面すべきものに
直面することでしか、
それを変えていくことはできません。
そして、逃げずに正々堂々と、
清々しい人生を生きる力は
絶対に自分自身の中に在るのです。
ただ、自分がそうすることを
望むのか望まないのか。
それだけの話です。
自分を愛し、祝福する。
そう決めて、一歩踏み出してみてください。
あなたの歩みに
最高最善の守護と導きを。