これまでに、何度か
ツールは使いこなすもので、
それ自体が目的になったり、
ツールに使われるような状態に
なってはいけない、という話を
したことがありました。
それは、パワーアイテムでもそうだし、
何かのメソッドや手法でもそうです。
ツールはあくまで自分自身が
人生を豊かに、幸せに生きるために
使うものです。
今自分がそのツールを使うことで、
幸せになっているのかどうか、
改めてチェックしてみましょう。
私がお伝えしている感情解放ワークも、
自分の感情を受け止めていくための手法で、
うまく使っていただければ、
人生は格段に楽になると思います。
けれど、ツールと言うのは使い方次第で
人生を苦しくさせてしまう原因に
なることもあります。
感情解放ワークも、たまに、
そんな風に使ったら、自分を却って
追い込む方向にいってしまうぞ、
というような使い方をされているケースも
見ないわけではないので、それについて
思うところを書いてみます。
確かに、ワークでは自分の中の
未完了の感情を統合していくことで、
人生は楽になっていく、ということは
お伝えしています。
けれど、その統合作業を
モグラ叩きのように、次から次に出てくる
感情のカケラ君を潰して処理し、
心の中をきれいに整地された敷地のようにする
みたいなイメージで捉えている方もあります。
このような見方は感情解放ワークの世界観とは
全く異なるものです。
感情のカケラ君たちは、
いわゆる「問題児」なのではありません。
それは、自分自身の存在の一部であり、
自分の扱い方が悪いために居場所を奪われ、
荒れてモンスターになってしまっただけなのです。
普段、この荒れ狂うモンスターを持て余して
切り離し、押さえ込んで蓋をしているのが
私たちのカケラ君に対する態度なのです。
自身のこの態度を改め、
カケラ君に正当な居場所と尊厳を認め、
再び自分の一部として「共に生きること」が
統合のプロセスの本質です。
決して、厄介者に
どこか迷惑にならないところに行ってもらうとか、
叩き潰して目に入らないようにするとか
そういうことではないんですね。
だから、カケラ君に対して本当に
愛と信頼の眼差しを向けることが
できないのであれば、
統合はできないのです。
これはとても大切な世界観なので、
ここが抜け落ちたワークは
絶対にうまくいかないでしょう。
そして、そういう眼差しを持てる自分
になることこそ、このワークの本質
と言って良いと思います。
これが、自分の器を育てる、
ということなんですね。
自身の内なるカケラ君を受け止め、
分離なく自分自身の全体を生きられるように
なるほどに、その人は愛に溢れ、
力強く輝くようになります。
以前は恐れていた様々なことを
もはや恐れてはいない自分に
気づくでしょう。
そうしてその人の精神は、
自由に解き放たれます。
在るがままの自分を
のびのびと生きる喜びと安心感で、
人生は自然に豊かさと感謝で
満たされるでしょう。
一方、もぐら叩きゲームの如く
感情のカケラ君を退治するかのように
向き合えば、
心の内の分離もますます深まり、
やってもやっても一向に消えない
カケラ君たちは暴れまくり、
疲弊していくばかりでしょう。
口先ばかりでカケラ君を受け止めるんだ!
と言っていても、内心は
結局、カケラ君って良いものじゃないしね
って思ってたら、本当にカケラ君のことは
理解してないことになります。
分離・抑圧してきたそれらは、
自分の人生を本当に幸せに導くための
非常に重要なカギでもあります。
本気で向き合って、
自分の中に湧き上がる恐れや不安や
諸々の苦しさを受け止めながら
カケラ君に向き合うから
自分が成長するんですよね。
それを、小手先だけ、上っ面な態度で
どうにかしようと思うその姿勢こそが、
今のその状況を生み出している原因だと
心底理解しなければなりません。
カケラ君を小手先でコントロール
しようとするほどに自分を切り刻み、
人生は硬直して委縮し、
活力を失っていきます。
本来、人生は無数の部分の集合体なのではなく、
有機的な一つの生命エネルギーの流れです。
感情解放ワークは、
そのダイナミックな命の流れを
在るがままに生きるための
方法のひとつです。
ただ、不都合な辛い感情を
何とか収めるためのツールではないのです。
これに取り組む人が、
自分自身の生の全体性を取り戻し、
人生を豊かに、愛に満ちたものに
されていかれますことを願っています。