私は常々、主体意識を持って
自分自身の人生を生きることが大事
とお伝えしてきているのですが、
それを強調するようになったのも、
自分の人生から退避してしまって
体はここにあるのに、中身がどこか
別の世界に行ってしまっている方とか
自分の魂をよからぬ者に売り渡して、
良いように使われてしまっている人、
あるいは、自分の体の中に、
別の存在を引き入れて(入り込まれて)
自分の意志に干渉されていたり、
自身の真の力や魂の導きに
繋がることを遮断されて
迷子になっている人を日々、
嫌と言うほど見続けてきているからです。
自分の人生を放り出すと、
実際、ロクなことがありません。
だから、辛いときほど
この自分にしっかり繋がって、
踏ん張ることが大事だと
お伝えしているのですね。
けれど、ストレス社会と言われて久しく、
ゆるフワがもてはやされるこの世相には
逆行する考え方かもしれません。
それでも、だからこそ、
しっかりせい!と喝を入れたくなりますね。
現代人は頭でっかちな在り方を
している人が多いので、
頑張ろうとすると、
肩をがちがちに固めて
呼吸が浅くなって緊張する体勢に
なりがちなのですが、
本当は自然に肚に意識が落ちて、
下半身が充実すると、楽に踏ん張れる
ようになるのですけれどね。
かく言う私自身がそれほど
できているわけでもないのですが(汗
やっぱり上半身だけで踏ん張るのは
どう見てもバランスが悪いし、
肉体的にも精神的にも、
うまく力は出せないと思います。
話は逸れました。
ワークしていても、
自分自身の内なる声を拾いにくい
という方、結構多いですね。
そういう方をセッションで見ていくと、
体の中に同居人(笑)がいたり、
宇宙人など何かの干渉を受けているとか、
昔、自分で自身とのつながりを
断ち切ってしまったとか、
感情や感覚を封印しているなど
様々なケースを見かけます。
それぞれ、程度の差はありますし、
上記の複数の要因が同時にある場合も
珍しくはないのですが、
面白いのは、
その人自身が長けている能力を使って、
自らを封印していることが多いのですね。
たとえば、精神的な力が強い方は、
自分自身で強固に感情や感覚を
ガッチリ封印していますし、
ある種の魔術的な資質がある方は、
ダークサイドの契約などによって
魂を売り渡して術をかけていたりします。
また、霊媒体質の方は、
自分を何かに捧げ、仕える人生を
何回も生きていた方も多く、
そういう方は、
憑依する存在にとって、
自分が使いやすい器であるように、
自分自身を封じ込める癖のようなもの
があったりします。
そういう場合、
やはり自分を生きるよりも、
誰かに使ってもらう方が
馴染み深い在り方なので、
自然とそういう環境を
意識、無意識的に求めて
落ち着いていたりします。
以前にもこれについては
どこかで書いたことがありますが、
そういう在り方をすべて
悪いとは言いませんが、
自分の体を使って
何かしらの存在を憑依させる在り方は、
非常に注意深く訓練されるべきもの
だと思います。
そういう役割の仕事、という
プロ意識を持って為されるべきで、
安易に自分の領域に別の存在を
侵入させるべきではないと
私は思っています。
そうでないと、
自分自身の人生との整合性が
やがて取れなくなっていく
可能性があるからです。
どんなにすごい存在を下ろしても、
それは自分自身ではないのです。
そこを勘違いしないように。
素の自分に戻ったときに、
その自分に自尊心を感じられる
在り方をしていなければなりません。
借り物の力は、
自分のものではないのですから。
ちなみに、入り込んでくる存在も、
勝手に入ってこようが
合意の上で入っていようが、
極めて注意深い作法の下に
降りてくる存在以外は、
「高次の存在」ではないと思います。
もしそれが本当に高次の存在であるなら、
未熟な私たちをコントロールして
あれこれ指図したり、
人生を乗っ取って利用したり
ということ自体、しないでしょう。
私たちも一個の尊い生命であることを
尊重して、安易に介入などは
しないのではないかな、と思います。
私たちのことを尊重しないから、
勝手に入ってきて利用するわけですよね。
パワーが強いこと=高次の存在
という図式は全く成り立ちませんので、
そこは勘違いされませんように。
中には、パワーが強い存在だから
きっと自分より優れた存在に違いない!
と盲目的に信じてしまう人も
あるようですが、それはとても危険です。
力が強くてもロクでもない存在は
ゴロゴロいます。人間だって
そういうの、いっぱいいませんか?笑
というわけで、今日は
自分自身の内なる声に繋がりにくい
ケースについて、色々書いてみました。