何か素材でも心理的な働きでも、
ストレスがかかって歪んだ部分を
元に戻そうとする復元力って
ありますよね。
それ自体の中に、自分が在るべき姿の
設計図みたいなプログラムがあって、
ちゃんとそこに戻っていくような力が
働くことに、不思議な感慨を覚えます。
ヒーリングという観点から見ると、
人間の心にも本来ではない状態を
無理やり作ると、
不自然な歪みと、
そこから生まれる様々な影響が
長期間にわたって生じ続ける
という現象が起こります。
セッションでは、
その不自然さを見つけ出して、
それ本来のあるべき姿に戻していく
ということをやるわけですが、
どこが不自然で、どういうものが
歪みなのか、というのを見分ける
嗅覚が大事なんですよね。
あれ?なんかここ変だよね?
違和感あるな、という感覚を頼りに
ポイントを掘り進めるのですが、
そういうところは、一言で言うと
エネルギーが美しくないのです。
ブカブカしてフィットしていないとか、
明らかに異質で浮いているとか、
ある部分だけ突然感覚が消えている、
微妙にエネルギーの乱気流がある、
とにかく怪しすぎる!等々。笑
要は、嘘くさいんですよね。
隠したい側としては、
一旦隠してしまえば、それで済んだ話
ということになるのでしょうが、
実はそんな簡単に
収まるようなものではありません。
不当に存在する権利を奪われ、
濡れ衣を着せられ、
名誉を奪われ、
真実を世界から隠されてしまった
者たちの怨嗟の声は、何年、何百年経とうと
止むことはありません。
個人レベルでもそうですし、
民族、国家の歴史単位でも
それは変わることはないのです。
そして、そういう怨嗟の念は、
非常に大きな捻じれたエネルギー的な
フィールドや歪みを形成し、
自分たちの本来のポジションに
戻ろうとし続けています。
けれども、隠したい側としては
真実が明るみになることは
非常に都合が悪いので、
強圧的に力で封印し続けます。
そのために、毎瞬相当なエネルギーが
費やされるのですが、考えてみれば
そういうエネルギーには何の生産性も
ないわけです。
だから、これは隠したい側にとっては
絶対的に不利な負債を抱えているようなもので、
しかもこれがいつ爆発するかもしれない
不発弾を管理し続けるような、
緊張感のある戦いになります。
こういう状態だと、
そのフィールドは一見平穏に見えても、
見えない底の方のエネルギーが不安定なので、
様々な場面で何かがうまく機能しなかったり、
錯覚や誤解が起こったり、隠そうとしている
ストーリーとまったく同じような悲劇が
繰り返されたり、というようなことが
しばしば起こります。
だから、その状態で居ても、
決して心安らかではいられないし、
調和もしないんですよね。
だからこそ、真に心の調和を求めるのなら、
真実をベースにした、
すべてが本来あるべき状態にある、
というところからスタートしなければいけない
と思うのです。
なんでこんなことを思ったのかと言うと、
最近色々な動画を日々見ているのですが、
たまたま、1985年に起こった
日航123便墜落事故の真実を追究する、
つい最近アップされた動画が
いくつも上がってきて、
事故から36年経ってもなお、
事故調査委員会の報告書に納得のいかない
遺族や国民の思いは、終わっていないのだ
ということをヒシヒシ感じたのでした。
(若い方はご存じないでしょうが、
ぜひ検索なさってみてください)
隠したかったものを隠すことで、
一体この国は何を得たのだろうか。
真実を犠牲にして得たものは、
不当に盗んだに等しいものなので、
そうやって得たものの上に築かれたものは、
いずれ真実に返還することになるでしょう。
まさに砂上の楼閣なので、
その上には確かなもの、正当なものは
築かれようがないからです。
これは、ダークサイドの契約と同じ原理です。
一つ嘘をついたら百の嘘を重ねなければならない
という話があるように、
一つの歪みを成立させるためには、
その周辺の膨大な真実を
歪ませなければなりません。
歪むということは、苦しみを伴うことです。
これは概念ではありません。
実際に、歪みを宿す者は苦しいのです。
だから、真実を求める圧力が
止むことがないのですね。
もう済んだことだから、
忘れたわ、そんな昔のこと、
では終わりにはなりません。
そう言いながらも、その人の心の内には
どこか苦しさがあるのではないでしょうか。
その苦しみもマヒさせるくらいに
自分を歪ませていることにさえ
気づかないようにしているのでしょうか。
膿は出し切らなければなりません。
たとえそれが辛くとも、
砂上の楼閣に住む苦しさや
そのことで失うものと、
真実で得るものを天秤にかけたら、
真実に立ち返ってゼロから始めた方が
余程生産的で、希望の持てる選択
だと思います。
自身の内面の奥深く、そして
歴史の闇に封印された無数の真実。
私たちは、どれほど歪んだ世界に
生きているのでしょうね。
せめて自分の内は、
真実をベースにした世界にしたい、
と思うのでした。