自分で学び、考え、
自分なりの世界観を構築して
自身で判断し、行動する。
基本中の基本であり
非常に大切なことですが、
若い方から私の親の世代(70代くらい)まで
様々な方に接してきて感じるのは、
自分で考えて自分で決めることが
苦手と言うか、そもそも放棄している人が
ものすごく多いな、という印象があります。
私自身も偉そうなことは言えないのですが、
考え方やものの見方を学ぼうとする前に、
結論だけ教えて!結局私はどうすればいいの?
っていうところしか聞いてないんですよね。
それじゃ、頭の省エネっていうよりも、
思考停止、眠っちゃってるんじゃないの?
と、非常に危険を感じます。
なぜ危険なのかを説明するならば、
自分で判断できないので誰かの判断に頼る
ということは、その誰かの都合の良い答えに
誘導されて行く可能性がある、ということです。
もしその存在に悪意があった場合、
破滅に向かって誘導されていても
気付かないわけです。
そして、自分で考えたり感じたりしないので、
途中で違和感を覚えることもなく、
感じたとしても、周囲を見渡して
みんなそんな状態だったら、
これでいいんだ、と錯覚してもろとも
破滅に真っ逆さまです。
これも以前何度も書いたことがあるのですが、
オウム真理教の元信者たちを取材していた
ジャーナリストの方が、なぜ麻原なんて人物を
信じてしまったのか?と元信者に聞いたら、
麻原は何でも自分の知りたい答えをくれたからだ
と答えたそうなんですね。
人生で抱えていた様々な葛藤に対して、
麻原は明確に指針を示すことができた。
たとえそれが犯罪へと駆り立てる行為へと
繋がるものだったとしても、と考えると、
なかなかに恐ろしい気持ちが致します。
まぁ、それはともかく、
なんだかこの国は、国民全体が
集団催眠にかかっているような
雰囲気があるな~と感じることさえあります。
最近では、愚民化政策と言うワードも
陰謀論的な流れの中でしばしば耳にするように
なりましたが、案外こういう政策が奏功している
のかもしれませんね。
日常の些細なことから、人生の大きな決断、
組織運営に関すること、自分の世界観に関する
主義主張に至るまで、
この国では、主義主張をもって
自身の意見を表明すること自体、
何かとてもはばかられるような
恐れを感じてしまうところがあります。
それがいわゆる同調圧力というもの
なのかもしれません。
その圧力の中で、周囲から浮かないように、
飛び出して、出る杭は打たれるみたいに
ならないように、注意深く息を凝らして
生きている。
そんな印象です。
日本人には、「和を以て貴しとなす」精神が
遥か昔からあるけれど、でもそれは、
委縮して周囲の顔色を伺って同調する、
という意味ではないと思います。
周囲の顔色を伺うのは、
自分に軸がなくて完全に他人軸ですよね。
自分の内から答えを見いだすことができず、
また、自分の選択に責任を持てないので、
手っ取り早く他人に自分がどう振舞えばいいのか
教えてもらうのでしょう。
そして、何か起こった場合でも、
自分で対応するのではなく、誰かにやってもらう。
子供の頃なら人間社会で生きるベースが
できていないので教えてもらわねばなりませんが、
ある年齢に達してその状態だったら、
どうやって後に続く世代を導けましょうか。
手っ取り早く答えだけもらえればいい
というのではなく、自分で答えを見つける
力を身につけなければなりません。
現状がどんなにネガティブに見えても、
直面し、受け止め、そこから立ち上がっていく
力が、私たちの中にあるはずです。
できない、と自分で最初から制限をかける前に、
今の自分にできることで、まだ力を出し切っていない、
尽くしていないことがないかどうか、
振り返ってみましょう。
ほんの少しでもあるのなら、
実行してみましょう。
そうしたら、それをやった自分は、
できないと最初から諦めて
何もしなかった自分とは違う道を
歩き出しています。
何か大それたことを最初から自分に課さなくても
小さなことからで良いのです。
今まで、ちょっとめんどくさくて
腰が重かったことを、ちょっと頑張って
やってみるとか。
あるいは、気が進まないけれど
惰性でズルズル続けていたことを
思い切ってやめてみるとか。
おかしいと思っていたけれど、
何となく従っていたことに、
従うことを止めるとか。
結構これだけでもエネルギー動きそうですよね。
中には勇気がいることもあるでしょうけれど、
今この現代日本社会に生きている私たちに
一番欠けているものこそ、
勇気なのではないでしょうか。
勇気を出して、感じ、学び、考え、
行動しましょう。
そして、結果を受け取り、また感じ、
学んでいくのです。
行動がない象牙の塔の住人ではいけません。
自分が何を欲し、何を憎み、何を愛するのか。
人間として生きる上で大切なことを、
自ら放棄し、まどろみ続けて人生を
終えないように。