今日で年度末、明日から新年度で
新たな環境に異動される方も多いでしょう。
しっかり締めくくって、新たなスタートを
気持ち良く切れますように。
年度末ということでこの3月は特に忙しくて
目が回りそう!という切実なお声も
しばしばお伺いします。
そんな中で、余裕があるときは、
普段から気持ちのカケラ君との対話に
意識を向けている方も、
切羽詰まってくると、頭は思考でフル回転。
自分の気持ちを構っている余裕もなく、
気が付けば心身ともにヘトヘト
になっていたり。
私自身も前職は慢性的にものすごく忙しくて
ランチを取る時間もろくにないままに
朝から晩までフル回転で心身共に
ボロボロになっていった経験があるので、
忙しさの中で自分を見失って
仕事の中で命の尊厳が失われて行く
辛さ、苦しみ、恐さがよくわかります。
そういうときって、とにかく
目の前の仕事をこなすことに集中して、
様々なものを切り捨てていくので、
ものすごく視野が狭くなっていますよね。
そして、呼吸が浅い。
これは、ほんの一時だったら、
生きるために仕方がない状況もありますが、
長期間こういう状況と言うのは、
とても不健全で、できる限り早く
脱出すべきだと思います。
お仕事の種類にもよりますが、
個人の努力でどうにもならないのなら、
根本的な仕事の構造がおかしいのだろうし、
あるいは、自分一人でしなくても良いことを
抱え込んでしまっているのかもしれません。
いずれにせよ、視野が狭くなって
呼吸が浅い状況で、駆り立てられるようにして
自分を分離させながらする仕事では、
本当に良い成果は得られないのでは
ないでしょうか。
自分の心と体が深刻なまでに分離しないように
自身の命の尊厳を最優先にする選択を
念頭に置いておきたいものです。
自分の人生において、
何を一番大事にするのかって、
根本的な問いではありますが、
常に具体的な行動判断の根底に
あるべき基準だと思います。
大げさに思うかもしれませんが、
大きなことから些細な判断まで、
ここが決まっていると、すっきりと
自分にとって最善の判断を下せるように
なるでしょう。
自分にとって、一番大事なものは何か?
今やろうとしていることは、
それを大切にできる選択なのだろうか?
様々な魅惑的な誘惑もあるだろうけれど、
それに乗ることで、一番大事なものは
保たれるのだろうか?失うのだろうか?
もし、大事にしていたものを曲げて
別の選択をしようとしているのなら、
そのことで得られるものは、
大事なものを失うことに見合うだけの
価値があるのだろうか?
色々な問い方ができると思います。
人生には、とにかくがむしゃらに
目の前のことに取り組まなければ
いけない時もあるし、
じっくり、ゆっくり、根気よく
丁寧に進めていくことが大切な時もあります。
また、ひたすら休んで、
心身の枯渇したエネルギーの回復に
努めるべき時もあるでしょう。
常に在るべき姿は、一定ではありません。
けれども、頭で走り続けてきた人が
いきなり休もうとすると、
必要なのに休むことに罪悪感などを感じて
種を蒔き、苗を植えるべき時でもないのに
そうしようとしてしまったり、
収穫すべき時ではないのに、
収穫作業をして実りがない!と
さらに焦ってじたばたしたり。
こうしてますます調子を崩して
いくんですね。
人生において、
在るべき時に在るべきところにいて
為すべきことをする、というのは
とても大切なことです。
そういう、時に叶った在り方をするために、
心と体と魂がバラバラではいけないのです。
呼吸が浅く、頭で思考が高速回転して
走り回っていると、それらは
バラバラに分離していきます。
すると、自分がどうしたら
時に叶った在り方ができるのか、
その導きが受け取れなくなっていくのですね。
だからちぐはぐになって、タイミングの
悪い人になっていく。
自分の深いところの導きに
心を澄ませていると、
私たちはしばしば、
本当に受け取るべきものから顔を背け、
受け取るべきでないもの、
もっと価値の劣るものに執着して
追いかけているものだな、と思います。
本当に受け取るべきものの価値が
わからなくなっているのですね。
自分の未熟さのゆえに。
目先の我欲のために。
何が我欲のスカスカのもので、
何が本当に自分の魂や心身を満たすものなのか、
自分でそれがわかるようにならなければ
いけません。
それがわかるようになるために、
自分の深奥に心を澄ませるのです。
そこに、自分にとっての最良の基準が
あるからです。
だから、忙しいときにこそ、
最善の選択ができるよう、
自分の内を分離させるのではなく、
統合された状態で機能できるように
日頃から意識しておくことが
大事ですね。