来週29日(月)は19時から
満月のオンライン瞑想会を行います。
いつものように、ミニリーディングで
お一人お一人、エネルギー状態のチェック
をして、アドバイスやメッセージを
お伝えし、その後の誘導で
ヒーリングエネルギーを流していきます。
ご都合の良い方、ピンときた方は是非どうぞ。
詳細はこちら
http://healing-gate.com/blog/seminner/fullmoonmeditationmeeting/
さて。
感情解放ワークで掘り下げをしていて、
その人の意識があるところからふっと
感触が消えることがあります。
正確に言うと、感触が消えるというよりは、
真っ白になっているというか、
手がかりの一切が消えているというか、
そんな状態です。
本人の自覚で言うと、とにかく
「わからない」としか言いようがなく、
どうしようもない、と言った感じです。
けれど、そういうときって、実は
真っ白になっている状態そのものが
手がかりだったりします。
つまり、その不自然さこそが、
そこに普通でない何かがある、
という明らかな証拠なのです。
であるならば、それが何なのか、
なぜ起こっているのかを見て行けば
いいわけです。
本人の顕在意識では、
そこを見たいはずなのに見えない、
なんでだろう?ってなってるのですが、
自分の現実は意識しているにせよ、
無自覚であるにせよ、自分で作り出している
という原則に従うのなら、
実はその状態も、
「自分でそうしている」と言えます。
なぜそうしているのか?
自分で見えないようにしているというのが
真実ならば、答えは、見たくないから、
見えない方が都合が良いから、
しかありません。
これを見えるようにするには、
見ることから逃げているそれに直面したときに
味わうであろうものを受け止める意志や
覚悟をまず持つことです。
そうする気がないままに、
いくら扉をこじ開けようとしても
肝心なところでつるつる逃げてしまうでしょう。
恐くても、やると決めるところから、
それを実現可能にするテクニックやツールが
生きてくるのです。
恐怖を感じることや、怯えること自体は
扉を開いていくにあたって、
直接的な障害にはなりません。
恐怖を克服しようという意志があれば、
その感情を受け止めることに
自身の力を注ぐことができますから、
ちゃんと統合していくこともできます。
恐怖を統合できれば、
見たくなかったものを見ても大丈夫な
自分になれます。
逃げていたものに直面し、
当時の自分にはできなかった
別の選択をして、
延々と無意識に自動継続を繰り返していた
不毛なプログラムを収束させ、
転換させていくこともできます。
弱いからとか、できるかどうかわからない、
と言ってやる決断を逃げる口実には
なりません。
弱いなら、
その弱さをどう克服していくのか、
やってみて、できないのなら
どこがどうできないのかを知り、
どうやったらできるようになるのか、
手掛かりを探せばいいだけです。
大抵の「できない」は、
本当にできないのではなく、
やる気がない、やろうとしていないだけ
なのだろうと思います。
でも、やろうとしない、
やる気がないこと自体が悪いと
言っているわけではなくて、
大切なのは、自分でそのことを
認められるかどうかが
大事だと思うのです。
たとえば私はあまりスポーツが得意
ではないのですが、そもそも
スポーツが上手になりたい、という
モチベーションがありません。
それよりも、
人の心や形のない存在や宇宙人たちの
秘密を探っていた方が楽しいし、
実利もあります。
モチベーションも全然違いますよね。
できなければ、自然とどうすれば
できるようになるんだろう?とか
これってどういうこと?と自分から
とことん探りに行きます。
それが苦じゃないのです。
そんな私も、レナード・ジェイコブソンの
プレゼンスの教えには、深い敬意を払いつつも
どうしてもわからない、となってしまいます。
でもそれは、自分の中の強烈なブロックが
やりたくない、やる気がない、を
盛大に掻き立てて、できない、
と止めているんだろうな、と思います。
もしプレゼンスを深めてしまったら、
と考えると、確かに手放したくない
ものがあり、そこに葛藤があります。
気づいてしまったので、
後はこれに取り組むだけですね。
こうやって、自分がそれを止めていることに
気づいてしまうと、次は選択しなければ
ならなくなります。
やりたいのにできないのだ、と思っていれば
自分にはどうしようもないことなので、
次に進むのは自分以外の力のせいで、
自分が決めずにいて、しかも
奥にある葛藤に直面しないままで
いることができます。
それが、自分がやっているのだ、となれば
もう自分で決めて、自分で直面するしか
道はありません。
嫌だった覚悟をしなければなりませんしね。
結局、自分次第である、というのは
ある意味、希望ではないでしょうか。