今日の話はちょっとややこしい
かもしれませんが、
必要な方に届きますように。
人間、誰にでも認めたくないところ、
どうしても受け入れがたいこと、
逃げ出したいことがあるものです。
人生では、しばしばそういうところに
直面するようにと課題が差し出されることが
あります。
私自身にも、いまだにどうしても
クリアできない課題があったりするのですが、
それに向き合おうとすると、
頭が真っ白にフリーズして、
訳が分からなくなってしまいます。
そういう状態になるのも逃避なのですが、
その状態で何年も途方に暮れています。
こういうのは最も根深い核心に近いところ
なのだろうと思うのですが、
そういうところに近づくにつれ、
どうにかしてそれに触れないように、
自ら様々な問題を作り出し、
その対応に忙しくさせて煙にまこうとする
防御反応を起こすことがあります。
感情解放ワークに取り組んで、
やってもやっても手応えが感じられなくなった、
自分に向き合うことに疲れ果てている
という方は、恐らくこのパターンが
多いだろうと思います。
ちゃんと進むべきところに進み、
人生から差し出されるものに応答
しているのなら、こういう感覚に
陥ることはありません。
進むごとに自分を取り戻していく
喜びと力強さが湧き出てくるはずです。
そうでないのは、
今触れるべきものに触れられていない
ということの証です。
一生懸命やっているのに
それが、的外れな時間稼ぎに
なってしまっているのです。
もがいてももがいても
成果が出ない時、
本当にがっかりしますよね。
私にも経験があるので
よくわかりますが、
でも、どれだけ的外れな努力をしても、
的を射た応答をしない限りは、
どうやっても卒業はできないのです。
的を外してる自分自身をしっかり見て、
どう修正すればいいのかを理解し、
実行しなければいけません。
逆に言えば、それさえできれば、
できない惨めさをいつまでも
味わい続けることはないのです。
今まで、様々な方を拝見してきましたが、
行き詰まった意識のままで
その状況からシフトしていった方は
いません。
行き詰まっている意識が
何かできるようになって、
本当の自分になるのではないのです。
その意識が主役の座を降りたときに初めて
本当の主役である意識が本来のポジションに
戻ってくるのです。
感情解放ワークをやって
どんどん本来の自分が立ち上がってきている
感覚のあるの方はそのまま進めばよいのだと
思いますが、
やるほどに行き詰まり感を感じる方は、
もっとも根本的なところで
ボタンの掛け違いをしていることが
多いです。
本来の自分の意識が立ち上がってきた状態で
改めて、どうしても受け入れ難かった
課題に向き合ったとき、
恐らくその課題は、
根本から難なく解消されているでしょう。
なぜなら、本来の自分には、
それを受け入れずにいる理由がないからです。
受け入れたところで、
それによって崩壊してしまうようなものを
持ち合わせていないのです。
逆に言えば、
自分が崩壊してしまう、無くなってしまう
と言っている意識は、本当の自分ではない
と言えるでしょう。
そう言っている意識や世界観こそ、
崩壊しなければならないのです。
その後に立ち上がってくるのが、
本当の自分です。
よく、しがみついているものを
清水の舞台から飛び降りるつもりで
手放していった後、
ものすごく自分が広がった感覚や
自由になった清々しさ、軽さなどを
感じることがありますが、それこそが
本来の自分の感覚と言えます。
手放す前は、自分が壊れて無くなってしまう
と言っていたのに、手放しても自分は
無くなりはしないのです。
手放してしまえば、なぜあれほど
こだわっていたのか、と不思議に思うほど
重要ではないことだったりするのですが、
それまでは、こだわっていたそれこそが
自分のすべてだと思い込んでたりします。
人間、どうでも良いことに
大事なエネルギーをものすごくたくさん
浪費していたりするものですよね。
でも、そのときは必死です。
感情解放ワークで気持ちのカケラくんを
お迎えに行ったり、自分と対話をするのは、
全て本来の自分がちゃんと人生を
生きられるようにするため。
本質から目をそらすための
目くらましや時間稼ぎに使うことの
ないように。
行き詰まるようなワークになっている方は、
本来の自分の人生を生きたいと言いつつ、
なぜか自分自身との対話ができない
ところが共通しています。
まるで、本来の命の軌道に戻ってしまうのを
避けているかのように。
(でも、ご本人は真剣に
自分の人生を取り戻したいと思っています)
このことは、
取り戻したがっている意識が、
本来の人生を生きる主体ではない
ということの表れのように思います。
もがくのを一切やめて、
人生を本来の持ち主に返しましょう。
じ~っと、静まった心の奥から
ゆっくりと立ち上がってくる
その気配を感じることが
できるはずなのです。
頭で捉えようとするのではなく、
ぜひ、感じて見てください。
本当に対話すべきは、
この存在なのです。