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17時から行います。
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ドタ参加も大歓迎です!
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最近、あることをきっかけに
自分の中の結構根深い恐れに再び
気付くことになったのですが、
思えば、私の人生において
このテーマは繰り返しやってきていたけれど、
相変わらずクリアできていなかったな~と
改めて思いました。
それは、肉体を苛まれることへの恐れと
そこから来る、どうしようもない無力感
でした。
きっかけとなったのは、
最近、国際社会で大きな話題となり、
今もその影響が広がり続けている
某国による少数民族の
ジェノサイト(大量虐殺)についての
動画を見たことでした。
関心のある方は
「私の身に起きたこと」で動画を検索
されると、いくつか出て来ます。
淡々とした描写の漫画で描かれていますが、
その内容のあまりの残酷さに
かなりショックを受けました。
メンタル弱い方は見ない方が良いかも
しれませんが、今著しい経済成長を遂げ、
世界の覇権を狙っている隣国が
どういう国であるのかを知っておくことは
とても大切なことと思い、
ここに紹介させていただきます。
この動画を見て、
私の中の深いところでものすごく
反応した部分があったのですね。
このような過酷な拷問と精神的な責め苦に
遭ったとき、自分はそれでも心を閉ざさずに
いられるだろうか?と問うたときに、
とても正気ではいられまい、
と思いました。
それはものすごく恐ろしいことだと
本能的にわかることではありますが、
どうやら私の魂の記憶データの中には
同様の経験の刻印があるようで、
昔、レナードのワークショップに参加
していたときに、プレゼンスの臨在の空間で
その光景が不意に浮上したことがあったのです。
そのときは押さえようのない吐き気で
部屋から飛び出したかったのですが、
あいにくぎゅうぎゅうの空間で
ドアからも遠く、その場を動くことが
できませんでした。
どうにか休憩時間まで堪えたものの、
そのときは脂汗と動悸で
本当に辛かったです。
その恐怖の感覚がじっとりと
統合されずにまだ私の心の奥に
こびりついていたのです。
あの状況に置かれたら、
どんな修練もきれいごとで
役に立たないだろう。
私の精神はもたない、
と思ってしまうのです。
その絶望と無力感にいつまでも
恐れを抱いているわけにもいかないので、
向き合ってみることにしました。
人は恐怖を感じるとき、
肉体とエネルギーボディが
ズレた状態になります。
少なくとも、まずはその場面で
これがズレないで踏みとどまることを
意識してみました。
ズレた瞬間に、自分のエネルギーが
相手に奪い取られて行くのが
わかります。
同時に自分が無力になり、
相手がモンスターに肥大していくのです。
一通り自分の中の恐怖などを受け止めた
ところで、自分を加害する相手を
見てみることにしました。
拷問吏は、自分の恐れから悪魔に魂を
売った男でした。
そうすることで、加害する側に回り、
自分が加害されることを免れていたのです。
けれども彼の体は悪魔に侵食され、
人間とは言えないものになっていました。
彼も、自分の弱さに負けた人間だったのです。
どうしたらこの状況を転換できるのか、
転換点を探ってみると、やはり
恐れに飲み込まれた瞬間でした。
その瞬間に、どこまでぴったりと
今この瞬間にいられるか。
つまり、
肉体とエネルギーボディが一致した
状態で居られるかにチャレンジ
してみました。
外的状況がどうであれ、
自分の内側のことなら
ひとえに自分自身の問題ですから、
それがどれだけハードルが高くても、
自分が頑張ればいいだけです。
私たちは、見ている状況から
次の状況を想像して、自らまだ現実には
なっていないイメージによって
自身にダメージを負わせることが
しばしばあります。
現実は、今この瞬間しかない
とよく覚者は言いますが、
徹底的に想像を排して今この瞬間のみを
生きるなら、確かに人生は大きく変容するに
違いありません。
見えているおぞましい状況があったとして、
それに恐怖を感じる自分がいても、
その瞬間は、決してそれ以上ではないのです。
そのようにして今この瞬間に
踏みとどまった状態で悪魔の囁きを
聞いてみると、
それは巧みに恐ろしいイメージを掻き立てて
幻想を見せるだけのまやかしであることが
わかりました。
とは言え、相手も百戦錬磨の手練れゆえに
心理戦を知り抜いて、揺さぶり抜いてきます。
お釈迦様が悟りを開かれる前に受けた
試練と言うやつも、こういうものだった
のかもしれません。
あらゆる瞬間も、いかなる幻想も見ずに
ただ真実のみを見ること。
そのことの重要性を
自身の根深い恐怖に向き合うことで
感じたワークでした。