誰しも、人より抜きんでて
得意なところ、苦手なところが
あると思います。
押しなべてあらゆる分野で
大体人並みにできる、とかいうのも
ある意味、大きな個性だったり
することもあるでしょうが、
均一でない、というのは
とても面白いところだと思うし、
だからこそ、自分を知るきっかけにも
なっていきます。
自分には良いところなどない、
悪いところばかりだ、と思える人は、
あなたのことを知る第三者に、
教えてもらうと良いかもしれません。
けれども、自己評価が低すぎると、
折角教えてもらった長所を認められず、
そんなもの、、、と思って
やっぱり自分には何もない、
といういつもの慣れ親しんだポジションに
落ち着きたくなってしまうかもしれません。
なんだかんだ言って、
そういう人は、どうしても
自分を認めたくないのでしょう。
そして、認めずにいる理由、つまりは
「認めてしまうとまずい理由」も
あるのかもしれませんね。
今日話したい話から大分逸れましたが、
軌道修正して、
そんな風にデコボコの私たちが集まって
この社会で生きているので、
すごく馬が合って仲良くなる人もいれば、
ものすごくきつく反発しあって
犬猿の仲になる人も出て来ます。
でも、それがあるからこそ、
自分とは違う価値観に触れて、
改めて自分というアイデンティティを
確認したり、
自分の知らなかった世界や、
欠けていた視野を補ったり
できるわけです。
自分という存在を見つめれば見つめるほどに、
自分には見えないところがあちこちにある、
ということに気づきます。
すっぽりとその部分の視野が欠けていて、
まるで認識できないようになっている、
というところがあるのですね。
認識できないから、普段はそこがない
世界を見て、ものごとを解釈し、
判断しているわけです。
けれども、それが見える人からしたら
そっちは崖だよ~!なんでそんな
危ないところに行こうとしてるんだ!
って思うかもしれないし、
妙に遠回りばかりしているけれど、
なんでそんなことやってるの?
って思うこともあるかもしれません。
けれど、その人にはその部分が
見えていないので、危険があったり
近道があったりしても、
それがうまく回避できない、
使えない世界でしか生きられないのです。
これは体の機能面だけの話ではなく、
精神的な部分でも同じで、
ある人は熱い情熱を人生の推進力にして
命を燃やし尽くそうとするような生き方を
しているけれど、
別のある人は
そういうものがうまく自分の中で
生じにくい気質で、淡々と、
ひたすらマイペースで人生を歩むような
生き方をしているかもしれません。
また、ある人は大胆に冒険心を発揮して、
様々なことにチャレンジするのが
楽しくて仕方がない人もあれば、
ものすごく恐がりで、ちょっとした
つり橋を渡ろうとするだけで、
足がすくんで一歩も進めないという
人もいるかもしれません。
何が言いたいのかというと、
自分には容易くできることも、
ある人にはひどく難しく、
またその逆の場合もあるのです。
言われてみれば至極当たり前のこと
ではあるのですが、私たちはしばしば
これを忘れ、
相手を理解することに苦しみ、
時に馬鹿にし、蔑み、戸惑い、また
腹を立てたりします。
相手のその態度、言動の奥に
どんな背景があるかを見ないで
見えている表面だけでその人を断罪し、
責め立てたりしてしまうのですね。
けれども、その人はその人なりの
視野や感性、考え方からその言動が
必然的に生まれてきているので、
表面の結果だけ変えさせようとしても、
それは無理なのです。
だからこそ、なぜその人はそうしたのか
というところの背景を見る眼差しが
必要です。
どうして速く走れないんだ!
と怒っても、その人は足を怪我していた
のかもしれないし、
ものすごく精神的にも疲労困憊
するような状況で、体を動かす
気力すらなかったのかもしれません。
であるならば、速く走れ!
といくらお尻を叩いて発破をかけても、
的外れな対応になってしまいます。
その人が速く走ることが
少しでも楽にできるようになるには
今自分に何ができるのか。
そもそも、今、その人を走らせようと
すること自体が適切なのかどうかなど、
そういうレベルから考え直す必要が
ある場合もあるでしょう。
他者に対してだけではなく、
自分に対しても、そういう眼差しは
必要です。
私たちはしばしば、
他者には心がけている気遣いや心配りが
自分に対してはすっぽりと頭から
抜け落ちていることがありますから。
そんなところまで見ていたら、
こちらの身が持たない!
と思ったあなた。
そういうところまで見て対応する
気力と術がないから、
それができる世界が思い描けない
という欠落があるのですね。
相手の人も、同じように感じて
できないところから動けずにいる
のかもしれません。
できるはずないじゃないか、
そんなの。ってね。
そこで永遠に平行線をたどるのか、
何かしら、互いに新しい可能性を模索するのか。
好きな道を選べばいいと思いますが、
自分がちょっと気づこうとすれば、
開く扉もある、ということを
知っておいて欲しいな、と思うのでした。