みなさんからいただく
無料遠隔ヒーリングやセッションのご感想、
その他近況報告のメールなど拝見しながら、
しみじみご縁の有難さを感じて
ほっこりしたり、
あるいは、厳しい状況のクライアントさんに
どうかこの苦境を越えて行かれるようにと
祈るような気持ちになったり。
無料遠隔ヒーリング関連のメールには
基本、ご返信は行っていないのですが、
全てのメールには目を通しています。
最近、ご縁をいただいた方たちも多く
いらっしゃいますが、この場を借りて、
このご縁に感謝しつつ、今後とも
どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
また、長いお付き合いの方もあり、
毎回いただくお便りから、
人生や気分の波のようなものも
見て取れます。
自分自身に向き合うことを続けていると、
いい時もあれば、思うようにならない時もあり、
ず~っとず~っといい調子でいられる
わけではないことは誰でも同じです。
季節に移ろいがあるのと同じように、
全てが凍り付く厳冬のような時期もあれば、
やがて雪解け、芽吹き、
燃えるような生命の息吹を謳歌する
時期もあり、
実りを収穫して厳しい冬に備える
時期もあります。
けれど、厳冬が悪くて
春や実りの秋が良い、
というわけではないように、
ただ、それぞれの時期に見合った
過ごし方がある、というだけのこと
なのだろうと思います。
けれど、自分にちゃんと向き合って、
努力してるもん!という思いの強い人ほど、
厳しい現実を目の前にすると
全ては無駄だったんだろうか、
と動揺してしまうこともあるでしょう。
人一倍、そこにエネルギーを注いできていれば、
なおのこと、その思いは強くなるのも
人情というもの。
でも、そういうときに出てくる
厳しい現実というのは、
そこまでやってきた自分だからこそ、
人生から差し出されている
というケースもあるんじゃないかな
と思います。
人生から差し出されるものって、
多すぎもせず、少なすぎもせず、
遅すぎもせず、早すぎもしない、
全てが絶妙の塩梅でやって来るんですよね。
多分、その出来事は、
もっと早くやって来ていたら
そこにある受け取るべきものを
見過ごしたり自分が潰れてしまったりして
受け取れなかったんじゃないでしょうか。
今だからこそ、
そのくらいの強さ、深さの衝撃で
やってきていると思います。
私たちの内側で、お迎えを待っている
未完了の感情のカケラ君は、
私たちを実によく観察していて、
自分より軽いカケラ君たちが
順番に解放されて行くのを見て、
今だったら僕が出て行ってもちゃんと
受け止めてもらえる!っていう
絶妙のタイミングで浮上するのです。
だから、結構解放作業を進めた先に、
ず~んとものすごく重いものが
出てくることは、よくあるんですね。
そこで、
自分の中にまだこんなものがあったんだ!
と呆然とする必要は全然なくて、
むしろ、こんなに重いカケラ君が浮上
できるくらいまで、やっと自分が
整ってきたんだ!って思ったら
良いと思います。
自分の内が諸々整理され、クリアになって
初めて見えてくるもの、向き合えるものが
ありますよね。
自分に向き合い作業を続けるほどに、
自身の闇の領域に深く下りられるように
なるのです。
そして、
自身の闇をつぶさに見て、
深く触れられるほどに、
自ずから自身の放つ光は
強くなって行きます。
光に、光に、と躍起にならなくても、
自身の闇を本当に統合すれば、
深い闇が即座にまばゆい光に
変わります。
逆に、自身の闇を統合しないままに
光ばかりを求めると、何かの拍子に
光の反対の闇に反転して、
飲まれて行きますね。
だから、
自身のいるそのレベルで見る闇を
恐れることなかれ。
しっかり肚に力を入れて、
怯むことなく、見つめ続けることです。
セッションの中でも、
自身の内から不意に浮上してきた闇に
びっくりしてすっかり飲まれてしまいそうに
なる方もあります。
けれど、
恐怖があっても悪くはありませんが、
闇に対峙し続けながらも、
自分自身の内に浮上する恐怖を
しっかり受け止めて在るように。
そうすれば、飲まれることもないし、
前後不覚に我を見失うことも
ありません。
己の内側から浮上してきた闇が何であれ、
それらは、気づかれて、見抜かれると
力を失います。
逆に、気づかれず、見抜かれず、
恐怖に怯んで飲み込まれるほどに、
大きくなります。
それ自体に力があるのではなく、
私たち自身がそれを大きく、モンスターに
育ててしまうだけのこと。
打ちのめされ、気力を奪われるような状況
だからこそ、そんな中でも自分を
見つめ続けられる力が試されるのです。
だから、厳冬も悪くはありません。
確かに苦しいけどね。(^^)
ただひたすらに被害者になって
振り回されるのか。
心得て、受け入れるのか。
これだけやってきているんだから、
こんなはず無いのに!と、
勝手に決めつけないように。
受け入れがたいのは、
こうあるべき、という枠に
囚われているからかもしれません。
厳然とある今を、
それがどんなであれ、
粛々と生きていくだけですね。