また緊急事態宣言、出されそうですね。
サロンも去年の春の時は、宣言前から
対面セッションやワークショップを
取り止めたりしていましたが、
今回は今のところ、
自粛要請の業種に入っていなければ、
引き続き対面のグループワークの開催は
ないものの、
このまま対面の個人セッションは
続けて行こうと思っています。
(変更の可能性がないわけでは
ありませんが)
コロナはやらせの茶番なのか本物なのか、
どちらにせよ、世の中の流れに
否応なく受ける影響というのはありますね。
そんな中で、今は自分の在り方を
ひたすらじっと見つめ続けています。
今まで、何度も耳にしていたけれど、
頭でさえ理解せずに流していた
諸々のことを、
本当に今この瞬間の自分の人生で、
体現していく時なのだな、
なんて感じています。
やる前から、そんなこと言ったって無理、
って思っていたことに、状況から外堀
内堀を埋められて、
ほれ、やらざるを得んだろう。
そんな風に尻を叩かれてるみたいです。(^^;
まぁ、嫌な感じではないんですけどね。
言われていたことが、本当にそうなのか。
やっぱり私は、今までそれを実践することが
恐かったのだと思います。
失敗したとしても、
さほど失うものはないはずなのに。
自分が恐れている、ということすら
気付かずに、瞬間的に恐れを封印して
避けてきていたようです。
自分が抱いている本当の気持ちというのは、
かくも巧妙に自分自身によって隠され、
欺かれてしまうのです。
故に、気づいたということは、
修正可能な手がかりを得たということ。
ここまで来れば、7割方、制覇したも同然。
ただし、ツメをきっちりね。笑
改めて、その恐れに向き合ってみると、
はらわたをきゅっと引き上げられるような
すくみ上る感じがします。
自分がこんなに恐がってたなんて、
ついぞ知りませんでした。
カケラ君、気づかなくてごめんよ。
今まで自分が囚われていた
価値観や生活様式を手放すことが、
なぜこれほどまでに恐いのか。
恐がっているのは、一体誰なのか。
それを深追いするよりも、
今は自分が留まるべきところにいられるように、
意識を向けていようと思います。
私はこれから、どの世界を生きることを
選ぶのか。その結果は、間違いなく
天と地ほども違うでしょう。
自分が、本当にやりたいことをやろう。
それを妨げる、あらゆる理由や言い訳に
耳を貸さず、ただ、今これをやりたい
と思うことに集中する。
これまでも、選ぼうと思えば
それはできたにもかかわらず、
私は自分がやりたいことを優先させず、
やらなければいけないと思うことを
してきました。
チャンスがあるなら、
それをしてもいい条件があるのなら、
その時にやらずにいつやるというのでしょう。
そこで選べないのなら、
ずっとできないままの自分でしょう。
自分が許せばできるのであれば、
手を伸ばして求め、行動すべきですね。
一体誰の許可を待っているのでしょう。
誰かが背中を押してくれなくても、
手を引いてくれなくても、
自分で歩みを進められる
自分で在ろうと思います。
新しいものがやって来る前というのは、
古いものが去り、凪のような、
0になる瞬間があります。
多くの人は、その凪が恐くて、
去って行った古いものを再び掴もうと
してしまったりします。
けれど、本当はその凪の中で
自分を空っぽにして
くつろいでいるのが良いのです。
そうしていると、やがて
その0のフィールドの中に、
満ち満ちたる可能性のエネルギーを
感じることができるでしょう。
0のフィールドは、
決して悪いものではないのです。
だから、恐れなくていい。
機が満ちたら、
ちゃんと新たなものが始まります。
そのときに、古いものが残っていないように。
まっさらなところから、新たなものが
自在に生まれ出でることができるように。
自分を空っぽにしておきましょう。
本当は、それはすべての瞬間において
言えることなのだけれど。
今この瞬間に、
自分を開き続けること。
実際にコロナが蔓延しているのかどうかは
別として、それによる社会のうねりや波は、
確かに私たちの意識を揺さぶり、何事かを
ふるい分け、シフトさせているようです。
大きな波が来たときに、
私たちが何を選び、どう行動していくのか。
その選択のたびに、
自分の生きる世界が決まっていく。
今までもそうだったけれど、
その選択の重みが、格段に大きくなっている
ような気がしています。
今まで以上に丁寧に
今この瞬間に向き合っていこうと思います。