一年の計は元旦にあり、と言いますが、
さて、みなさんは有意義な元旦を
過ごされたでしょうか?
元旦は元日の朝のことなんだそうですが、
私は大晦日は特段紅白も見ず、
カウントダウンもせず、除夜の鐘も聞かずに
普通に日付をまたいでベッドに入り、
元旦はいつも通りに祝詞にジャパに
呼吸法にアーサナやって、
お酒をちょこっと飲んでお節とお雑煮を
いただきました。
東京ではお雑煮には四角い焼いたお餅に
小松菜の澄まし醤油仕立てなんですが、
念願の家庭菜園で採れた自家製小松菜で
いただくことができました。
これが一番嬉しかったな~(^^)
そんなこんなで元旦を過ごした私の一年は、
どんなんなるんだろう?笑
私の住んでいる辺りは東京下町深川と言われる
地域なんですが、東京湾岸にも割と近い、
隅田川の河口付近の地域になります。
以前はカウントダウンで、新年を迎えると
東京湾に停泊している船から一斉に
ボ~っと汽笛が鳴らされたものですが、
今はこのご時世、うるさい輩のクレームが
あったのかどうか、その風物詩もなくなって
しまいました。
だから、昔のように、カウントダウンで
船の汽笛を聞いて年明けをワクワクしながら
迎えるというのもできなくて、
何だかつまらないですね。
一年に一回くらい、そんな音が聞こえてきても
いいようなものを。と残念至極であります。
それから、いつものルーチンで
朝から洗濯機を回していたら、
母に正月から洗濯をするな!と怒られ、
けれども洗濯物を貯めるのが大嫌いな私は
断固聞き入れずせっせと洗濯を済ませて
素知らぬ風でやり過ごしておりました。
昔の人は、正月には掃除洗濯、料理をしない
とかって言われるそうですが、
別に好きでやってるんだから
いいじゃんね~。
ってことで、当初の目論見通り、
冬至の日に収穫しておいた
ネズミモチの実を七輪で煮ております。
(これは料理の内に入るのか?)
時間がある時でないと、
こまめに鍋を見ていられないのでね。
産土様へのお参りも、お正月は混みそうだから
暮れの内に行ってしまったし、あとは
いただいた年賀状にご返信したり、
忙しくてずっとお預けだった
諸々の趣味&雑用で元日は過ぎてしまいました。
さて、残りのお休みを、
いかに充実させますかね~。笑
今年がどんな年になるのか、
どんな風に今を過ごしたらいいのか、
ふと、ハイヤーセルフさんに聞いてみたくなり、
尋ねてみたら、
好きに生きなさい
と言われました。
突き放している風でもなく、
ふふふッと笑って
そう答えてくれた感じです。
目標を持って、ガンガンそれに
突き進んでも良し。
ゆっくりのんびり、
好きなことを好きなようにして
楽しむのも良し。
様々な課題をたくさん見つけて
葛藤しつつ取り組むのも良し。
ひたすら、世間一般が言う
良いこと、有意義なこと、すべきことを
しないで過ごすのも良し。
どれも正解で、間違いはありません。
そう言われると、本当のところ、
では自分は何がしたいのか。
というところに戻ってきます。
世間体や見栄や恐れからではなく、
今自分がやりたいことにフォーカスすると、
それは誰かの為でも何かの為でもなく、
しておいた方が良さそうだから、
というのでももちろんなく、
実にほんの些細なこと、だったりします。
そういう、ささやかな願いを、
普段自分はどれだけ心を澄ませ、
応えてあげられているかな、
と改めて思います。
忙しいから、これを先にすべきだから、
と随分おざなりにしてきたような
気がします。
セッションでもよく、その方が、
自身の魂が本当に受け取って欲しいものを
ちゃんと受け取れているかどうか、
というのもチェックするのですが、
さて、私自身はどうだったかな。
ちゃんと聞けているだろうか、と
ハートの奥にジ~っと意識を澄ませていくと、
じわ~っと溢れてくるものがあります。
まだまだ、対話が足りないですね。
指針とすべきはこういう声なき声なのに、
私たちはしばしば、それに耳をふさいで
外側のあれやこれに忙しく、
自身の魂が本当に受け取って欲しいものを
受け取らずに、バタバタと駆けずり回って
いるのです。
自分の魂は、私に何を受け取って欲しいだろうか
と、忙しい日常の中でふと歩みを止めて、
じっと心を澄ませて聞く時間を持つことは
非常に大切なことです。
そこから、人生の導きや生きていく力が
やってくるのだとこれまでにも
繰り返しお伝えしてきていますが、
言葉にならなくても、
はっきりとしたビジョンを得られなくても、
そこに日常の意識をチューニングするのだ
と思って意識を向けていくほどに、
人生の何ごとかの流れが整い導かれて行く
気がします。
焦りに駆り立てられる時ほど、
導きをくれるのはそこなので、
今年はもっともっとこれを大切に
過ごしていくぞ!と気持ちを新たにしました。