人は、強いストレスや激しいショックを
受けると、感覚を遮断したり記憶の欠落が
起こることがあります。
そういったショックやストレスから
自分を守るための防御機能が
働くためですが、
たとえば、幼少期に虐待に遭っていたとか
学校で激しいいじめに遭っていた、
身近で大切な人の突然の死を経験した、
突然耐え難いアクシデントに見舞われた等
のケースだと、
その当時のことをあまりよく覚えていないとか、
どんな気持ちだったかもさっぱりわからない
という方にしばしば出会います。
感情解放のセッションでこうした人の
エネルギーを読んで行くと、
ちょうど辛い体験をした時代のところが、
まるで靄かヴェールがかかったようになっていて
その先の気配が全く読めない
ということがあります。
何もないわけじゃないんですね。
何かがあるのに、それが掴めないのです。
自分でその体験を厳重に封印している感じで、
その部分から後の体験のエネルギーは
読み取れるし、ご本人の記憶もあるのですが、
ただ、再開された体験の在り方に、
そういう断絶がない人とは違った
特徴が見られたりします。
それは、記憶が再開していても、
感覚が閉じたまま、なんですね。
どういうことが起こっているかというと、
強烈なサバイバルな体験をしたときに、
あまりにも受け入れ難い、キャパシティーを
大幅に上回る感情や感覚のエネルギーが
一気に生じます。
そのときに、電気回路が焼き切れないように、
ブレーカーを落とす、みたいな状態に
なるわけです。
そうやってひとまず自分を守るんですね。
そして、
その体験をした自分自身を分離させて、
無かったことにするんですね。
こうすると、その体験は自分の中では
「無かった」わけなので、それによって生じた
怒りや悲しみ、憎しみや悔しさ、ショックなど
そういった諸々の感情や感覚も、
「無かった」ことになってしまいます。
耐え難いエネルギーから自分を守る
という意味では有効ですが、これは
ものすごい副作用のある防御機構です。
けれども、そのリスクをおしても、
それをせざるを得ないほどに、危機的・
緊急的な状況だったとも言えます。
(それほど危機的・緊急的でもないところで
これをやっている人をしばしば見かけますが、
絶対にやめた方が良いです。自分が何者か、
どんどんわからなくなって行きますよ)
ただ、無かったことにしたとしても、
事実はあったわけで、本当に無くなる
わけではありません。
自分から切り離して封印された体験の
感情や感覚は、自分からは手が付けられない
状態になって、深いところからその人の
人生を揺さぶり、生きにくさの原因に
なっていたりします。
色々な意味で、辻褄が合わなくなって
いくんですね。
そしてまた、
感覚の遮断も継続したままなので、
苦しさも生々しくは感じないかわりに、
喜びもわからなければ、自分が何を好み、
何を嫌い、何を求め、何が欲しくないのかも
わからなくなります。
そういうことを感じられないから、
それを使う判断が
ほぼできなくなるんですね。
人生の羅針盤を失ったようなものです。
それだと困るので、何か代わりになるものを
探さなければ生きていけません。
そういう人たちは、誰かの基準をどこかからか
引っ張ってきて、それで人生を何とかうまく
進めようと頑張るわけですね。
これは良いものだ、これは悪い、
これは美味しい、あれはまずい、
心地良い、良くない、などなど。
多かれ少なかれ、本来自分で分かって
当たり前の判断が、人の物差しを使わないと
全くできないのです。
けれど、誰かにとっての正解が、そのまま
自分にとっての正解になることは
まずありません。
故に、その人の人生は非常に混乱したものに
なるのです。
こういう状態から回復していくには
ある程度の段階を踏んで慎重に進める
必要があるので、時間はかかります。
ただ閉ざしていた感覚を開いて、
無かったことにしていた諸々を
自分の人生に取り戻し、
分離を解いてつなげればいい、
というものではないのです。
もちろん、最終的にはそういうことを
するのですが、危機的だったからこそ
閉ざしたものを開くということは、
開いた瞬間に、あの耐え難いエネルギーが
襲ってくるということを意味します。
故に、開くからにはキャパシティーを越える
エネルギーを処理できる準備ができて
いなければなりません。
こういうものを受け止めるのは、
一時にできるわけではないので、
自分で調整しながら受け止めていける
能力を獲得していなければいけないし、
セッションの間はサポートがあっても、
一旦開き始めたものは、サポートがないときにも
ジワジワ滲み出てくるようにもなるので、
そういう状態に、一人で対処できなければ
安全にこのプロセスを通過していくことが
できません。
そして何より重要なのは、
ご本人が、切り離してきた自分を取り戻す
という確たる意志があること。
こういう条件が整う人生のタイミングが
来たときに、扉は開いていくのでしょう。
まだまだ書ききれないものはありますが、
何かしら心当たりのある方の参考に
なればと思います。