寒いですね~。
私は筋金入りの寒がりなので、
朝起きるともう「寒い寒い寒い寒い」って
マントラのように唱えずにはいられない
今日この頃です。(^^;
「寒い」の代わりに「オームナマシヴァーヤ」
とか唱えてた方がご利益ありそうですが、
寒さはそんな私の理性などふっ飛ばし、
「寒いんだよ~~!」と、何に怒ってるのかも
わからないまま、叫ぶことを止められません。笑
雪国にお住いの方たちは、この豪雪で
本当に大変な思いをされていらっしゃるかと
思いますが、心からお見舞い申し上げます。
どうぞみなさま、温かくなさって
お過ごしくださいね。
さて、この一年を振り返ってみて、
今年はコロナという非常事態が
大きく世界を変えて、
コロナが真実にせよ茶番にせよ、
否応なく多かれ少なかれ、
この時代を生きる人々に影響を与えました。
そんな中で、嫌々続けていたことに
見切りをつけて方向転換された方、
やりたかったことができるようになった方、
ものごとの優先順位が変わった方、
ゆっくりと休んでいてもいいと
自分に許せた方など、様々だったでしょう。
私自身も、コロナ直前の去年の10月に
私なりに大きな決断をして、サロンのやり方も
変えたのですが、結果的には本当に良かったな
と思います。
その決断の直後のこのコロナで、
やっと、無理矢理走り続けてきたものを
終わらせることもでき、ゆっくりと
好きなものに目を向け、愛でる時間を
持つこともできました。
人はしばしば、そういう外側からの
強制的な圧力がないと、やめられないことって
あるものだと思います。
昔、前職を退職したときも、
心も体もボロボロになってドクターストップが
かかったという理由からだったのですが、
いまだにそういうところ、あるのだなぁと
書いていて気付く自分がいます。
以前よりは、随分自分の心身の声を聞く
ようになっているはずだと思っていましたが、
「ふん、まだまだだな」と厳しい突っ込みを
内側から入れられております。(^^;
もう無理だ、やりたくないと思いながらも
どこか未練があったり惰性で続けてしまうのは、
それまで相応のエネルギーを注いでいたことを
止めてしまうことに対する恐れや、
別の在り方を模索しなくてはいけない恐れから
ではないでしょうか。
強制終了させられる時は、
そういう恐れがあったとしても、
否応なく転換させられるのですが、
そういう強制力がないと、
心の慣性の法則の方が勝って、
決心を鈍らせるのでしょう。
そういう意味で、
こうして時代の力によって
強制的に転換させられるのも、
悪くはない一面はあると思います。
今、越えていけないものは、
多分、もうずっと前から、
実はダメだったのでしょう。
そして、今芽生えていくものは、
またひとふるい、ふたふるいかけられて
これからの時代を本当の意味で
豊かにしていくものでしょう。
恐らく、
これからの時代の豊かさというのは、
これまでの豊かさとは定義も大きく
違うでしょう。
この混乱の時期に、
これまでの豊かさをさらに煽るような
やり方を続けたり、始めようとする方も
少なからずいらっしゃると思いますが、
個人的には難しいんじゃないかな
という気はします。
そういうものが成長していく
根っこが既にもう枯れているように
感じられるからです。
(あくまで個人的見解です)
自身の奥深いところと
日常の在り方がしっかりリンクして、
分離感や違和感、葛藤のない状態から
生きている人こそが、
どんな分野であれ、どっしりと
この時代を乗り切って、生き延びて
行くんじゃないでしょうか。
だから、自分の中で感じる違和感や
分離感を様々な理屈で言い訳して
納得して収めてしまうことは
止めましょう。
今までは、そうしていないと
今の現実を回していけなくて
辛かったかもしれませんが、
こういう混乱した時代を越えていくには、
自分の中の羅針盤をしっかり機能
させなくてはなりません。
これは嫌、変な感じがする。
こっちが好き。安心する。
そういうシンプルな感覚を
シンプルに感じ、受け止め、
応答できる自分で居ましょう。
世間体や損得勘定、打算、
骨の髄まで染み込んだ誰かの言葉など、
あなたの人生の大切な局面では
役には立ちませんし、結果的に
判断を歪め、誤らせる要因になります。
まだ、そういう感覚を取り戻せて
いない人は、少なくとも
自分に無理をさせないことを
心に留めておきましょう。
そして、誰が何と言おうと、
最終的に自分の決断に自分で責任を負う
ということを肚に決めましょう。
こういう意識で日々選択をし、
誰のせいにもしないで生きていたら、
あなたの人生は何かが少しずつ
変わってきます。
あなたが、今この瞬間の祝福を
受け取れますように。