生殺与奪の権を他人に握らせるな

自分の人生を他人事のように眺めながら
バーチャルリアリティのような、
どこか浮遊した感覚で
生きている人がいます。

人によって、
かなり厳しい人生模様の中で
ほぼ現実感のない人もいれば、
気楽な感覚でそこそこ人生を
楽しんでいるような人もいます。

けれど、いずれにせよ
自分が人生の当事者になっていない
という意味では同じことで、
どこか足元の空虚な感じは拭えません。

どちらのケースであれ私のセッションでは、
当人に自分の人生を引き受けて
人生の当事者として戻ってくるよう
導くことを旨としています。

自分の人生を他人事のように生きている限り、
本当にこの人生で与えられるギフトを
受け取ることはできません。

でも、多くの人はギフトだけ欲しがり、
自分の人生の責任を引き受けることは
したがりませんねぇ。

ギフトは、
本当に人生を引き受けるからこそ
その言いようのない有難さや尊さが
わかるというのに。

今、自分の在り方を振り返ったときに、
自分がどれだけ自身の命に心を向けているか、
人生が差し出すものと真摯に対話しているか、

本当に尊いものが差し出されたときに、
はぐらかさず、誤魔化さず、目を閉ざさずに
恐れを越えて受け取ることができているか。

できていないのだとしたら、
心を向けられず、対話できず、
受け取れていないその瞬間に、
自分の中で何が起こっているのかを
ただひたすら、見ることです。

霞がかかったような頭、
重苦しい抵抗感、
逃げ出したいような落ち着かなさ、
反吐が出るような不快感などなど。

自分がどうして、
本当に魂から満たされる生き方がしたい
と望みつつも、そうできないのか、
それを阻むものがそこに浮上しています。

こうしたものを自分で捉え、
触れていくことができないと、
いつまでも念仏のように本当の人生を生きたい
と言いつつ、ただの実効性のない
スローガンで終わります。

そうして、こういう自分に向き合う
プロセスで味わう苦しさを避けて、
横道にそれていくのです。

横道では、手軽に、苦しくなく
簡単に欲しかったのと似たものが
手に入りますから。

けれど、それは似ているけれど、
決してそのものではありません。

だから、一見同じように見えても、
それを得たときの質感や力強さ、
自分の中でフィットする感覚も
格段に違います。

本当に血肉になるものと、
異物の違いですね。

それに、横道にそれた場合は
避けて通ったものはそのまま残っていますから
単に持ち越しただけですし。

本当に自分の人生を引き受けて、
人生から差し出されるものを
一つ一つ受け取っていくと、

自分が今、在るべきところにいて
在るべき時に、在るべきことをしている
という、ぴったりとはまった感覚に
なっていきます。

受け取れていない分だけ、
どこか居心地が悪く、ぼわんと間延びして
膨張したような、おさまりの悪い感覚が
します。

自身の現実を、何かや誰かのせいにするときは
てきめんにこういう状態になりますね。

責任転嫁は、その部分に対して、
自分で責任を取ることができない、
つまり、自分ではどうしようもないもの
というお墨付きを自ら与えるようなものです。

つまり、その部分に対して、
自分の力を失うことになるわけです。

セッションしていても、
責任転嫁をして自ら無力になる領域を
作っている人のバイブレーションを
しばしば捉えます。

無力感と怒りと苛立ちと諦めの
入り混じったような独特の気配がありますね。

でも、それは自分で作っているのだ
と認識できないうちは、
どうにもできません。

苦しいのに、そうしている方が
都合がいい人もたくさんいますね。

責任のないところで
文句だけ言っている方が気楽、
という選択でしょうか。

それが嫌なら、自分で相手に投げつけた責任を
自身に引き戻すしかありません。

そうした時の重圧や痛み、苦しさをすべて
引き受けて、自分で統合して
本当に自身の力を引き出していく、
そういう道に進むのです。

みな、そういうことをする底力が
ないわけじゃないんですよね。
本当はみんな持ってる力です。

ただ、恐いんですね。
そういう力に本当に対峙することが。

力が欲しくて欲しくてたまらない
というのに。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな」
とは冨岡義勇さんのセリフ(by鬼滅の刃)
ですが、(画像はネットからお借りしました)

そういう風に生きるには、
どんな在り方をしたらいいでしょうか。

ひたすらに、
本当の意味で自分で自分自身を引き受け、
行動するしかないですよね。

あの人がこう言ったから、
これがこんな風だから、じゃなくて、

あの人がこう言ったとして、
なぜそれが自分の心に沿わないのならば
心に沿うように行動できなかったのか?

でしょ?

その一瞬、自分が自身の心から離れた。
そして目をつぶって、相手に従う
「選択を自分がした」わけです。

そういうところ、ひとつひとつを洗い出し、
自分に生殺与奪の権を引き戻していくのです。

こういうことを緻密に重ねてきている人は、
容易に揺らがない存在感を放ちますね。

私はまだまだですけれど、
精進します。

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