私がここで、こうして在ることの意味

最近、心情的に大切な気づきがあり、
書くかどうか迷っていたのですが、
書くことで今の時点を記しておくことは
大事な気がしたので、自分用のログメモとして
残しておくことにしました。

きっかは、鬼滅の刃のエンディング曲、
LiSAさんの「炎」という曲の歌詞でした。

何となく気に入って、
色々な人がカバーする「炎」を
YouTubeで聞いていたら、
最初のこのフレーズにふと、
私の中の何かが浮上してきたのです。

ありがとう さようなら 声の限り
悲しみよりもっと大事なこと
去り行く背中に伝えたくて

私の中にも、こんな場面がかつてあった。
それは、とても大切な出会いだった。
そんな感覚が蘇ってきたのです。

今生ではないどこかの人生で、
男女の恋愛関係とかではなく、
大切なことを、自身の在り方を通して
たくさんたくさん、教えてくれた人。

ひょっとしたら、
それは複数いたのかもしれません。

すべてが圧倒的に素晴らしく、
その人の側にいるだけで、
毎瞬が驚きの連続だった。

憧れと尊敬とひたすら慕う気持ち。

その人は多分、何かを教えようとか
伝えようとかは一切していなくて、
ただ自分の在り方を通して、
私の魂いっぱいに、溢れんばかりに
様々なものを惜しみなく注いてくれました。

本当に素晴らしい方でした。

けれど残念なことに、
私にはその方のはっきりしたビジョンが
浮かんでこないのです。

ただ、気配のみが読み取れるだけ。
けれど、それでもその方がどれほど
素晴らしかったのか、私に影響を与えたのかは
わかります。

その方が私の中に植えた種が今、
こうして育っています。

記憶はなくとも、その方の存在の証が
私の中で確かに生きているのがわかる。

その方に向けて、
この言葉を叫びたかったのです。

ありがとう さようなら 声の限り

今私は、ここでこうして在ります。
そう伝えたかった。

そして、それと同時に、
私はここで、
自分がこうしてあることの意味を果たしたい。
そんなことを強く思いました。

この気づきが起こった前日から、
私は自分自身がまだ受け入れていなかった
自身の可能性をやっと、受け入れたところでした。

ずっと前から知っていたけれど、
まだ遠く、受け入れられていなかった可能性。

それをようやく受け取った翌日に、
この気づきがありました。

そしてその翌日、まだその気づきの余韻が
続いているところに、どうして
そんなにも大切な人が思い出せないのか
ふと理由がわかりました。

その人は、教えだとか学びだとかいう形で
伝えようとしていたわけではなかったのです。

教えや学びは、
完全に受け取った者の中に消化・吸収されて、
最終的には、その形の痕跡すら
なくならなければならない。

だから、本当に受け取って血肉にするためには、
私の中にその人への憧れや思慕、思い出が
残っていてはダメなのです。

その人も、私がその思いを抱き続けることは
望んでいませんでした。

自分の名を称えられることも、
慕い続けられることも。

だから、別れ際に記憶を消されたのだろうと、
そんな気がしました。

それが本当に事実かどうかはわかりませんが。

教えは、師から受け取り、
師から離れた後から本当の学びが始まると
私は思います。

師は、教え子が自分から離れた後に
どれほどのものになったのかを見て
自分の伝えたものの真価を知り、

教え子は、師から離れた後に
自分の本当の実力に直面します。

それから、学びの子は師に与えてもらった
栄養を消化しながら、一人で自分を鍛え、
磨き上げつつ道を歩みます。

そうしてどれだけの道のりを来たのか、
私は今、ここにこうしています。

ここで、自分の役割を果たしているとき、
あなたの存在が私の中で確かに
活性化するのがわかります。

こうして再び、私はあなたに
出会うのですね。

この「炎」という歌の中には
こんなフレーズもあります。

僕たちは燃え盛る旅の途中で出会い
手を取りそして離した 未来のために

「燃え盛る旅」って、どんなだ。。。
って思いますが、そんな在り方をしていないと
出会えない縁というのが確かにあるんですよね。

そんな、圧倒的に素晴らしい人たちに
引き合うような生き方を今、
自分がしているだろうか。

そんなことを思った瞬間、
また別の気づきが降ってきました。

みんな、「上」に上がりたいと言って
しきりに上を目指すけれど、
本当にすごい存在たちは「上」にはいない。

最下層の底辺の、さらに地下にいる。

「下」だ!と。

常人にはとてもいられない
燃え盛る炎の中でも、自在でいられる
圧倒的な輝きと存在感を放つ存在たち。

そしてまた、炎についてのインスピレーション。

自分の中に、
凝縮された炎を燃やし続けること。

その炎を感じた時、
これまでその質のエネルギーは捉えていたけれど、
さらにぐっと濃縮した、けれどもものすごく
クリアな桁違いのエネルギーになっていました。

私がここで、こうして在ることの意味。
これは来年を通してのテーマになりそうです。

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