今日から11月入り。
今年も残すところ、2か月となりました。
本当に早いものですね。
世界が大きく変わったこの年を、
どんな風に締めくくり、
新たな年を迎えていくのか。
バタバタと日常に追われながら、
あるいは、何か大きな決断をして、
またはぼ~っと過ごしてしまうのか、
自分なりに、ジタバタもがいてようと
思います。
自分に向き合う作業も、
ある程度まで来ると日常もとても
平穏になってくるので
それなりに過ごせてしまうところは
あるのですが、
それでも、見ようと思えば見るべきものは
いくらでもあります。
ただ、その状態からさらに深く
自分をレベルアップさせようと思うと、
これまでとはちがった注意深さや
胆力のようなものが必要だったりします。
今までは、やれば10歩も20歩も
一気に進めたような実感があったのに、
たった1歩の歩みを進めるのに
ものすごい密度の取り組みが
必要だったり。
歩みも、そのときどきの質感やスピード
がありますが、
以前と同じように進められないとダメなんだ、
と思い込んでいると、変に焦ってしまって
方向性を見誤ったりしがちですが、
実はそうじゃないんですね。
今の自分の状況がどうであれ、
それを否定して変えようとすると
間違えやすいと思います。
そうではなく、
どんな自分も受け止めた上で、
その自分を詳細に見つめていくことから
次の歩みの方向性や課題が見えてきます。
多くの人が、ば~んと大きな
自分の使命や方向性を知りたがります。
そして、それが分かれば、
今の自分のモヤモヤした感じとか、
不完全燃焼の感覚などが消えて、
思う存分、自分を活かせるのだ!
と考えます。
けれど、その感覚で居る限り、
大きな方向性や使命が明確になっても、
分かった!と思って走り出したら
いくらもいかないうちに、また
モヤモヤしてるんじゃないだろうか
という気がします。
大きな方向性や使命を実現していくには、
ある程度の持続したエネルギーの
燃焼のさせ方をしなければなりませんし、
どんな道であれ、最初から最後まで
引っ掛かりも課題もなくする~っと
すべてがうまくいく、なんてことは
ないからです。
正しい道を歩んでいても、
必ず何かしらの試練はありますからね。
短絡的な考え方をしていると、
ちょっとした試練ですぐに
自分の選択は間違ってたんだろうか?とか
これはやるべきことじゃなかったのかも?
とか考えて、フラフラしだすのです。
その程度の自分で、大きな使命やビジョンを
果たせるのでしょうかね?
悩み抜き、問い続け、
自分なりに答えを出していく
その歩みのすべてが、
自己実現の瞬間なのです。
何か形ある成果を出したときだけが
達成なのではありません。
私たちは、既に達成の連続を
積み重ねているのです。
だから、そういう歩みのすべてを
受け入れ、楽しむ意識がないと、
いつまでも、永遠にやって来ない
未来の達成というニンジンをぶら下げて
毎日がちっとも楽しくないし充実感もない
なんてつまらない人生になってしまいます。
とは言え、自分は何をしたらいいのだろう?
って悩むときは誰にでもあると思います。
様々な方からそういうご質問を
いただくのですが、
思うに、そう悩むときって、
自分の足元がおろそかになっていることが
多いかな、という気がします。
つまり、自分の置かれた場所で、
差し出されていること、やるべきことを
やり切ってないのではないでしょうか。
もうこれ以上、ここで自分がやるべきことは
何もない、と潮時を感じられたら、
未練なく次に行けるでしょうし、
未練や引っ掛かりがあるなら、
しっかりそれをクリアにしていく
作業があるでしょう。
漠然と、なんとなく自分を生き切ってない
感じがするならば、現状の自分から
何か逃げていることがあるのかもしれません。
こんな自分じゃなく、もっと素敵な自分へ
と願うこと自体は悪いとは思いませんが、
変化を望むのなら、何故に自分が今
このようであるのかを知らねばなりません。
そういうところを振り返ることもしないで
変わろうとしても、取ってつけたような
自分らしくない理想をねじ込むことに
なるのではないでしょうか。
あれがいけなかった、これがいけなかった
と悪いところ探しをしろというのでは
ありません。
ただ、自分の中で受け止めきれてない
気持ちがないかな?あるのだとしたら、
そういう、苦しいところも
しっかり受け止められる自分になったら、
もうその時点で「ダメな自分」では
なくなっているでしょう。
そういう歩みを繰り返していく先に、
自分を信頼し、対話し、より大きな
ビジョンや使命が明かされるのです。
そして、そういう積み重ねがあるからこそ、
ビジョンを実現し、使命を背負っていく
力がついてくるのですね。
一朝一夕に奇跡のスーパーマンには
なれません。
勢いももちろん大切だけれど、
そういう地に足をつけた歩みも、
おろそかにしませんように。