毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリング
のテーマ設定日です。
先日は死の恐怖について考察してみた
のですけれど、結構色々反響をいただいて、
人それぞれ、受け止め方が違って
なかなか興味深かったです。
迫りくる恐怖も、そこに投影されている何かを
丁寧に捉えて、トリガーされている感情や感覚を
統合していけば、
自分が恐れているものの本質を
もう少し冷静に捉えられるのではないか、
という気もしました。
たとえば、死を間近にしたときに
孤独や淋しさ、喪失感、成しえなかった
何かへの悔恨の念、悲しみ、混乱、後悔など。
一つ一つから目を背けずに、
ジ~っと受け止めて生きてみるのです。
何がそんなに悲しかったのか。
悔しかったのか。辛かったのか。
その芯の部分を見つめて、はぐらかさず、
誤魔化さず、無かったことにしないで
丁寧に受け止めていきます。
また、後悔は先日の記事にも書きましたが、
感情の蓋であり逃避なので、
事実をしっかり受け止めた上で浮上する
耐え難い心のざわめきを捉えて
受け止めます。
様々な心のわだかまりもワークして
クリアになった段階で、もう一度
死というものに向き合ったとき、
恐らく、感じ方は全く違っていると思います。
そのようにして、
死そのものの周辺に絡みついている
諸々の感情を整理して行って初めて、
死の本質を見つめる準備ができるように
なるのではないかな、と思います。
死と考えるだけでもう恐ろしいとか、
とても考えるなんてできないとかいうのは、
生きること自体がおろそかになって
しまわないだろうか、という気もします。
生と死はコインの裏表のようなものであり、
私たちは生まれたら必ず死ぬのです。
幸せにこの世を去って行きたければ、
よく生きなければいけませんが、
人の誕生や死に立ち会うことって、
人生にとってはとてもインパクトのある
出来事だと思います。
そういう出来事に立ち会うことで、
何か、人生に深みが増すというか、
生というものの質感が変わっていく
ような気がするんですね。
逆に、そういうものに一度も触れない
人生って、何か大切なものが
抜け落ちているような気がします。
現代社会において、とかく死は
タブー視され、隠されたり
縁起でもない、と遠ざけられるような
位置づけになってしまっていますが、
本当は、死も誕生と同じくらい大切に、
祝福と感謝で送られるべきなんじゃ
ないかな、と思います。
誕生と死を、尊厳を持って
みんなが祝福できる社会というのは、
とても豊かで、成熟した社会でしょう。
そのようにして送られた御霊の人生は、
本人にとっても、周囲にとっても、
非常に意義深く、その社会の中で
大切なエッセンスとして機能していく
ような気がします。
そうすると、御霊の人生は必然的に、
死んだら終わり、ではなくなりますね。
自分が消えてしまうとか、
みんなから忘れられて、
一人ぼっちになってしまう、
とかいう恐れもなくなるでしょう。
現代社会を生きる多くの人の中に、
こうした恐れがある、ということは、
この社会において、尊厳ある死を
迎えられるイメージがあまりない
ということの表れなのかもしれません。
死は、単独で語れるようなものではなく、
誕生から人生のあらゆる瞬間を経て
訪れる最後の節目です。
頭では分かっていても、
死を恐れる人は、その部分だけを捉えて
見ていないでしょうか。
自身や他者の死を受け止めるということは、
その人の人生のあらゆる瞬間に敬意を払う
眼差しがあってこそ、だと思います。
その人生がどんなものであったにせよ、
その人が生まれ、泣き、笑い、喜び、
悲しみ、怒り、憎み、苦しんだ
すべての経験を祝福する眼差しを
向けられたときに、
自分自身の人生もまた
祝福されていたということに
気付くでしょう。
ということで、今回は
死を通して、生きるということの
エッセンスに迫ってみたいと思います。
今週のテーマはこちら。
死への恐れを受け止めつつ、誕生から死まで人生のすべてを祝福するよう最高最善に働きかける
参加される方は、
「無料遠隔ヒーリングの受け方」を
ご覧になり、 ご理解のうえ
2020年10月28日(水)17:00までに
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同日20:00より順次働きかけを行っていきます。
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