セッションで、クライアントさんの
お話を伺っている分には
そこそこいい状態で悪くない、
けれども、エネルギーをさらに深く
じ~~~っと読んでいくと、
根本的にその人の源というか中心と
繋がっておらず、断絶しているように
見えるケースがあります。
こういう場合、
ちょっとだけ悩ましいなと思うのは、
その人がどこまでを求めているだろう、
という点です。
日常生活の中でそこそこ安定していて、
そのままでも特に急いで何かを変える
必要もない場合、
目の前の生活を重視するなら、
現状維持の選択も、アリだろうと思います。
一方で、もっと深いレベルで
人生と命とか霊性の整合性を求めるなら、
その状態では頭打ちでしょう。
どこかで必ず、整合性が取れてない部分が
原因で、不調和が現れてくるだろうと思います。
現状維持もできるかどうか。
いずれそういう状況になりそうな
気もします。
(あくまでこれは私の見解です)
けれど、現状、うまくいっていて
そこそこ満足しているとなると、
そのレベルに向き合うのは結構大変です。
なぜなら、
これまでの自身の見方とか考え方の
ベースになっているような根本を
ひっくり返すような、ものすごく大きな
転換が必要になってくるからです。
ちょこちょこっと何かを修正すれば、
そのまま行けるというわけではなく、
新しい在り方に、根本から作り替えていく
プロセスを通過していかなければ
なりません。
それだけの、集中的なエネルギーが必要なことを
やり抜けるのかどうか、という問題になります。
こういうとき、
現状がかなり困難な状況にある方の方が、
肚を括って取り組むモチベーションは
高いですよね。
そういう意味で、困難な状況も
恩寵に違いありません。
自身の源と言えるようなところ
(人によっていろいろ表現はあるでしょうし
捉えているところも違うかもしれませんが)
とつながれていない、ズレていることに
違和感を持てる感性が生きている方もあれば、
まったくわからない、あるいは、
かつてはわかっていたけれど、
ある時からそういう感性を麻痺させて
封印して生きてきた方なども
いらっしゃいます。
そうやって、自分をこの世界に適応させて
生きてこられたんですよね。
器用でものすごく上手に適応できている方は、
逆に、その感性を取り戻すのに苦労します。
下手に適応できなかった人の方が、
元々の純粋な源を感じる感性が
生きているってこともありますね。
源への感性を取り戻しつつ、
この世界で生きていく力も
妥協しない生き方を確立するのは、
これからの時代、とても大事ですね。
両者はときに、相反するもののように
捉えられるかもしれませんが、
源からやって来る力こそが、
こういう時代にあって、
私たちを本当に調和に導き、
困難を越えて生きていく力になります。
その力を、どれだけ自身の人生に
満たしていくことができるか。
その源を、何よりも大切なものとして
日々、毎瞬、忘れずにいられるか。
セッションを重ねる中で、
だんだん困難な状況も見違えるように
良くなってきた、というときに、
源との強烈な断絶が現れることもあり、
これを指摘する側としては、
ここで立ち止まってほしくはない
という思いもありますが、
結局はその方が選択されるしかありません。
人それぞれ、人生の目的があるでしょう。
私のセッションで目指すのは、
源の指し示すものとその人の人生を
一致させることです。
けれども、しばしば源の指し示すものと
顕在意識の方向性がズレている方もあり、
なぜズレているのか、そこに強烈な執着が
あったりすると、そのズレを認めたがらない、
反発するケースもないわけではありません。
私は、私の見ているものが絶対に正しいと
言うつもりもないし、説得するわけでも
ないのですが、
その執着や我を張っていることへの
整合性が破綻している印などを具体的に
示したりして、気づきを促したりはします。
そのうえで、ご本人に決めていただきます。
自分で本当に気づき、決めなければ
意味がないことですからね。
方向転換には、
しばしば痛みを伴うこともあります。
そこを安全に通過できるように
伴走するのが私の役目です。
いずれにせよ、
あなたが心底の幸せと喜びに満ちた
人生を歩まれますように。
すべての人生に、祝福を。