自分に向き合う作業をしていて、
自身の内に何か好ましくない要素が見えた時、
あなたはどうしていますか?
様々な方のそういう場面を拝見していて、
色々思うところがあったので
それについて書いて見ます。
こんなところがダメだなぁと思った瞬間に
それをどうにか修正しよう、直そうとする方、
そのままどっと落ち込んで固まってしまう方、
良くはないけれど、まぁ良いか、と
大して気にも留めない方など様々です。
気になったのは、
ダメな部分を矯正して良くしようとする
タイプの方で、
世間一般的には多分、普通というか、
そうするものだ、そうしなければいけない、
と教えられてきた反応の仕方だと思います。
良くしようと努力するの中で、
いつも私が注目するのは、
その人がどんな風に自分に相対しているか、
なんですね。
努力すること自体は問題ないと思うのですが、
ダメな自分、できない自分、
不足している自分に対して、
上から目線で理想の状態に
「させよう、やらせよう」と、
問答無用でねじ込むように矯正するような
やり方をする方がいらっしゃるんですね。
これはちょっと待って~!!
って思います。(^^;
何度も記事の中で書いてきたように、
どんなに不都合で不調和で醜い状態に
なっていようとも、それがそうなっているには
そうなっているなりの事情があり、
理由があるのです。
そこを知ろうとも、寄り添おうともしないで、
自分の思う通りじゃないから、
言う通りにしろ!それ以外の選択肢はない!
って押し付けるのは、
いくら自分に対してだって
非常に乱暴なやり方だと思います。
こういう方はほぼ例外なく、
自分以外の他者に対しても、
そういう態度で接しているところがある
と思いますよ。
他者からそんな態度で接して来られたら、
とても不快に感じて心を閉ざし、
反発するのではないでしょうか。
自分だって同じことです。
こうして、自分自身と対立し、
ますます溝を深めてしまうわけです。
思う通りの自分ではなかったとしても、
どうしてあなたはそうしているのだろう?
と聞く耳を持って事情を聴いてあげてください。
どうしたらいいかわからなくて一人で抱え込み、
固まっているせいかもしれないし、
あまりにも傷つきすぎていて、
起き上がれないのかもしれません。
あるいは、誰も信じられなくなって、
固く固く自分を封印しているのかもしれません。
それ相応のいきさつがあり、事情があり、
それを無視して形だけ望むようになればいい
というのは、事情を抱えた存在に対して、
あまりにも酷というものでしょう。
自分に向き合う作業というのは、
こんな風に、自分の進みたい方向とは
正反対の反発をしてくる存在に対して、
それを受け止め、肚を割って対話し、
信頼を育んでいくというプロセスが不可欠です。
そういうことを積み重ねるから、
自身の器が育つのです。
自身の器の狭さを嘆くなら、
心を閉ざした自分に対して、
何ができるかを精一杯考えてみたら
いかがでしょうか。
思う通りでない現状を受容することは
実際に苦しいことでしょう。
その苦しみを引き受けるから、
本当に肚を割った対話ができるんですよね。
その苦しみを引き受けないで
対話をしようとするのは、これは対話ではなく、
話を聞かない、一方的な押し付けになります。
対話とは、痛みを引き受けながら
相手の話を聞くという場面が
必ずあると思います。
痛みを拒絶したら、
自分の思う通りでない相手の話なんて
とても聞けたものじゃないでしょう。
でも、その痛みは、
今まさに相手が感じている痛みと
イコールだということが、
痛みを引き受けたときにわかるでしょう。
あなたが痛みを引き受けることを
拒絶すれば、相手もまた同じように
自分の痛みを引き受けることを
拒絶します。
こうして、両者の話は永遠の平行線を
辿るわけですね。
そしてあなたは、相手をわからずやだと
なんて話の分からない、分別のないやつだと
不快な怒りをぶつけるのでしょうか。
聞く耳のない人は、痛みを受け取ることを
徹底的に拒否しています。
それは損だと思って、絶対に損をしないぞ!
と、自分の正義から降りようとはしません。
エネルギー的に見ても、
ぴったりと膜かシャッターを下ろして
プロテクトしたように、貝になっています。
こういう人は、結局のところ
痛みを自分の中で統合する術を身に着けないと、
人生のあらゆるレベルで停滞と硬直を
経験するでしょう。
自分を傷つける外界を拒絶するのと同時に、
内なる自分をも拒絶して敵対するのです。
永遠に誰も勝つ見込みのない不毛な戦いを
繰り返す、ある種の修羅の道を行きます。
それが嫌なのなら、
痛みを引き受けるしかありません。
前の記事でも書きましたが、
痛みの受容は、自身を飛躍的に
変容させます。
この部分でガッチリ固まっている人は、
覚悟を決めて臨むことです。
必ずできるはずですから。
あなたの歩みに、祝福を。