何かや誰かにべた~っと
依存してしまう人っていますが、
そうなってしまう要因は様々あれど、
結局のところ根本的な原因は、
自分を信頼できない、
自分の生きる力を信じられない
というところに行きつくんじゃないか
と思います。
セッションで様々な方の様々なご相談を
お受けしますが、ほとんどの問題の根っこが
ここに行きつくので、
最終的に自分が自身の生きる力の源に
しっかりつながって行けるように
セッションを組み立てていくことに
なります。
自分の本当の力の源に繋がれないと、
自分自身を支えることができません。
自分の力で生きていくことへの
不安が大きく、いつも心細さでいっぱいで、
誰かや何かに支えてもらわなくては
とてもいられないのです。
自分の力を感じられないので、
自分にはとても力なんてない!と
自分の無力さに確信を持っています。
だから、自分を支えてくれる何か、
自分がどうしたらいいのか教えてくれ、
わかりやすく示してくれるガイドライン、
基準を常に求めています。
それが自分に本当にフィットするかどうか
チェックする基準となるようなものも
自分の中にないので、すがるようにして
丸呑みしていることが多いです。
あからさまにそういう状態になっている
人もいれば、気をつけてはいるようだけれど、
自覚のない人もいます。
けれど、一緒にいる人は何となく
ベッタリと寄りかかられるような重さを
感じるので気付くでしょう。
こういう状態にあるとき、
いくら自分自身で決めるようにとか
自分のことは自分でしようとか、
自立しないと、などと諭しても
理屈では無理でしょう。
本人も、そうなりたいと望みつつ、
根本的に何が原因かわからずに、
依存しないで自立できる方法を
また外側に求めます。
一番必要なのは、
気付くと気づかざるにかかわらず、
自ら背を向けている、一番信用できない
自分自身に向き直ることなのです。
けれど、おそらく何かしらの
サポートがない限り、そういう人は
自分に向き直ることはほぼしないでしょうし、
思い至りもしないかもしれません。
なぜなら、背を向けてきた自分とは、
痛みと混乱と虚無が渦巻くところだからです。
そういうものをうまくさばき、
統合した先に、自身の本当のパワーの源が
見えてくるのですが、それ相応の
道のりがありますね。
けれど、その道のりこそが
宝だということに、
気付けるかどうか。
自分がなりたくて憧れて、
恋焦がれた本物の存在になる歩みが、
まさにそれなのです。
ただ、マイナスをゼロにしていく
損な過程なのではないのです。
そこを自分の足で、自分のハートで
通過していくからこそ、
自分自身の血肉となり、
自分の言葉で語れる真実となります。
血肉となった経験だからこそ、
他者のハートに深く響いて、
人を動かすことができるのです。
あなたが望んだ憧れの存在は、
はるか遠くの手の届かないビジョン
なのではありません。
今この瞬間のあなたから確かにつながっている
可能性の一つでもあるのです。
そのビジョンにたどり着く道は、
最も避けてきた、最も信頼できない
自分自身に対峙するところから始まります。
ベタベタに依存しなければいられない
状態のあなたがそのビジョンを実現したら、
あなたは、今の自分と同じ状況に在る人たちに
大丈夫、必ずあなたは自分で立つことができるし、
その力は確かにあなたの中にある。
だから勇気を出して、その力を見つめなさい。
と、確信をもって呼びかけることが
できるでしょう。
孤独と混乱と不安と心細さを収める術を
身に着けたなら、大概のことは
乗り越えていけます。
逆に、
人生を力強く、自立して生きていくには、
これらをマスターすることが
とても大事ですね。
これらの要素がトラップとなって、
人間関係のパワーゲームに飲み込まれ、
自由を奪われ、自ら囚人になっていく
のですから。
淋しさを自分で支えられないから、
自分のためにならない人間関係から
離れることができず、
自分を差し出してしまって
他者にコントロールを許してしまう。
もし、孤独を友として歩むことが
自在にできたなら、
何者にもコントロールを許さず、
ただ自分の深いところからやって来る
導きに従って生きる自由を得られます。
だから、
依存しないで自立して生きるというのは、
そういう生々しい恐れや不安を支えられるだけの
実力が自分の中に確立している必要があり、
頭だけで実現できるようなものではないのです。
着実にその力を身につけ、
そして根本的に自身の内なる力の源に
確かに根付くように。
私はメソッドを伝えるのではなく、
その在り方を体現するように
サポートしていきたいのです。
だから、セッションをお受けになりたい方は、
メソッドを学ぼうとするのではなく、
そういう在り方をしようという
意志をもって臨んでくださると嬉しいです。