スムーズに、うまくできれば
それに越したことはないけれど、
人生って、うまく立ち回って
生きるばかりが目的じゃないよね
ってふと思うことがありました。
自分の実力の範囲内で安全に過ごすことで
自身のペースで落ち着いて成長していける
ということもあるだろうし、
あえて、自分が苦手とする状況に
飛び込んでいくことで、荒波に揉まれ、
その中からそれまでの自分の殻を
破っていく、ということもあるでしょう。
人生全体を通して、
安定した歩みをする人もいるだろうし、
荒波に揉まれ続ける人や、
また両方の時期を経験することも
あるでしょうが、
いずれの歩みにせよ、
魂は自分の体験したいことを
存分に味わいたい!という願いを持って
この世界にやってきているのだろうと
私は思うので、
その願いが、その歩みによって
どれだけ体現されるのか、というところに
非常に注目しています。
安定した歩みの中では打ち破れない
自分の殻を越えていくことを
強く願っている魂もあるだろうし、
荒波に揉まれるばかりでは得られない
とても繊細な優しさ、穏やかさ、安らぎ
といったものにくつろぎ緩む体験を
望んでいる魂もあるでしょう。
ときには、長い歩みの中で、
まどろみ、その場に足を取られて
眠りこけてしまうことや、
人生の厳しさに疲れ果て、
委縮し、怯え、また拗ねて
人生を投げ出してしまうことも。。。
そういう状態をリカバリーするという願いも
あるのかな、と感じることがあります。
感情解放ワーク自体、クリアできていない
わだかまりや停滞などを解いていく作業なので、
セッションなどでもそういうことの連続
なのですが、
ぬかるみに足を取られたような状態でも、
そこから脱出したときの安堵感や、
ようやく学びを受け取った達成感など、
みなさんの輝く姿を拝見するたび、
どんな状態もOKなんだなぁと
しみじみ思うのです。
ボロボロに傷ついていたり、
ドロドロの怨霊みたいになっていても、
絡み合った思いの糸をほどいていったとき、
本当に晴れ晴れと輝いて、
凛々しく、力強さに満ちた姿が現れてきます。
同じ存在が、ここまで変わるんだなぁという
そんな振り幅の大きい変容の場面を
たくさん見てきているので、
今がどうであろうと、そこから
どんな可能性も現れ得ると確信しているし、
そこに至る道筋もまた、
何となくわかるからです。
今、あなたがいるその場所は、
魂の願いから見て、
どんなポジションにあるでしょうか。
遠くても近くても、
まさにその願いのど真ん中を生きていても、
見失っているように感じても、
もしあなたが魂の願いを生きたいと
本当に願っているのなら、
どうぞ、ご自身に正直であってください。
誤魔化していること、
見ない「ふり」をしていること、
敢えて見ないことにしていること、
逃げてきていること、
今自分が何に気づけていて、
何に気づけていないのか、
何を恐れ、何に執着し、
何を我慢していて、
どこからはみ出さないように
気を付けているのか。
なぜそうしているのか。
そこに瑞々しい生きている実感はあるのか。
頭で考える幸せではなく、
心の底から湧き上がる幸せの感覚が
あるのかどうか。
自分を愛せているか。
周囲にいる方たちを、愛しているか。
自分の人生を、祝福できるか。
人生を、信頼しているか。
これらを問いかけてみて、
今ご自身が、魂の願いに対して
どんなポジションにあるのか、
確認してみてください。
魂の願いが何なのかわからない
という方も多いですが、
それを知るには、
まず自分自身との関係性を
愛あるものにしなくてはいけません。
それができたら、
自ずからわかるでしょう。
そのときあなたは、
魂の願いを生きる愛そのもの
になっているからです。
ただ自分を生きることが
喜びであり願いであり、
瑞々しい命の躍動そのものだから。
喜びも怒りも悲しみも憎しみも辛さも
あらゆる苦しみ、愛おしさも、
みな自分自身の一部です。
そのどれもをえり好みせず、
引きずられることなく
自在に生きることができたら、
あなたは自身の人生のどんな場面も
祝福することができるでしょう。
自分自身の一部に囚われ、
それを恐れるあまり、
自分を分離させないように。
人生を空虚なものにしないように。
あなたの人生が、
瑞々しく輝く命の奔流となりますように。