自分の気持ちを大事にすることは、
人生を導く羅針盤を守ることだと
つくづく思うのですが、
それがわからなくなっている人、
結構いらっしゃいます。
そういう状態になってしまう原因の一つに、
頭で考える「こうすべきだ、こうした方がいい」
という思考が圧倒的に優位で、本音の気持ちが
その陰で押しつぶされていることが
挙げられます。
本人は、
そうしたいのだ!と強く「思い込んで」いるので、
それが自分の本心であり、
本当の気持ちだと信じていますが、
でもそれは気持ちじゃなくて、
信念、思い込みです。
気持ちは感じるものだけれど、
信念はマインドのレベルなので
考えていることに近いところのものです。
そして、
これらは全く別のものであるにもかかわらず、
しばしば混同されているので、
そうなるべきだと考えているのと、
そうなりたい、と心に湧き上がっているものの
区別がつかなくなってしまっているのです。
こうなるとやっかいで、
本当の人生の羅針盤の導きなのか、
ただの思い込みなのかが本人にも
全く分からなくなってしまいます。
普段から、いわゆる「ハートの声を聞く」
ということが自然にできていれば、
その違いは当たり前にわかるはずのもの
なのですが、
思考優位でほとんど感じることを
しないで日常を過ごしている人は、
なかなかに難しいのですね。
こういう状態で何か行動を起こそうとすると、
本心と信念が一致しているときは
スムーズに動けるでしょうが、
一致していない時は非常に葛藤します。
頭ではやるべきだと思い、
自分はそうしたいのだ!と信じていますが、
心の内深いところでは
やりやくない、と感じているので、
なかなか行動できません。
自分はやりたいはずなのに、
どうして動けないんだろう?と
本人もとても悩み、自分に根性がないからだ
とか思ってさらにアクセルを踏みますが、
本心の力というのはそういう発破よりも
桁違いの力を持っているので、
結局動けないのです。
こういう状態の人は、よもや自分がやりたくない!
などと思っていようとは、
露とも気付けません。
逆に、その人にとっては、
気付いてしまったら都合が悪い
かもしれませんよね。
やるべきだ、と思う方向に進めなくなって
しまいますから。
でも、いかにねじ込もうとしても、
その矛盾を修正しない限りは
進むことは難しいでしょう。
握りつぶすほどに、
その場では何とかなっても、
後々必ずそのしこりは大きくなって
軌道修正を促すようになるのです。
内なる声は、なぜやりたくない
と言っているのか。
その理由に真摯に耳を傾け、
そこに誠実に対処していくにつれ、
ブレーキはアクセルになっていきます。
そのためには、いったんは後退と思えるような
状況に陥るかもしれません。
けれど、遠回りに思えたその歩みも、
結局は最短コースの道のりだったと
後でわかるでしょう。
だから、内なる声の本心を聞くことを
恐れないでください。
いやだ、という声の理由や事情を
丁寧に聞いて応えるのです。
心は目に見えないので、
傷ついて動けないような状態に
なっていても、気づけないことがあります。
体で言えば、骨折して脚が腫れ上がり、
痛みにうめいているような状態でも、
なぜ走れないんだ!と鞭打って
走らせようとしている、みたいな
状態になっているかもしれませんし、
疲れ果てた体で重荷を背負って
徒歩で遠いところに行かなければいけないのに、
どうして1時間でたどり着けないんだ!
と理不尽な要求をしているのかもしれません。
または、ひょっとして
自分が向かおうとしている方向は、
ひどく危険なところだとか、行っても
欲しいものは手に入らないとハートは知っていて、
だから行きたがらないのかもしれません。
いずれにせよ、自分が嫌だという理由に
丁寧に耳を傾けたなら、
今、傷を癒すべきなのか、
重荷をおろしてやるべきなのか、
馬車や車などの乗り物を用意してやるとか
人の助けを借りるとかした方がいいのか、
はたまた、目的地が間違っているなら、
どこに向かえばいいのか、それを知る手掛かりを
どうやってつかんだらいいのか、
そうした逐一を知る手がかりを
得ることができるのです。
なぜ、こうした大切な情報ソースを
活用せずにねじ伏せようとするのでしょうね。
もったいないことです。
恐れや不安に直面し、向き合うことを
避けたがる人は多いですが、
それができる人は、
本心と信念にズレや矛盾がなく、
アクセルとブレーキを同時に踏むような
無駄な力を使わずに、真っすぐに
目的地に向かえます。
恐れや不安は、あなたがもっと楽に、
楽しく人生を生きる道を教えてくれる
メッセージだと思うと、もっとそれらと
仲良くなれるかな?
あなたの才能や可能性が
のびやかに開いていきますように。