自分の中に後ろめたさがあると
きちんと相手に向き合えなくなり、
何だかんだ本筋から外れた言い訳をして
逃げてみたり、
逆に理不尽に強く出て、
何か言われそうなのをねじ伏せる
みたいなことってないでしょうか。
本当は、素直に相手に
ごめんねって言えばいいだけだったのに、
自分が悪者になりたくなくて、
卑怯者になってしまっている。。。
自分の弱さやずるさを認めるだけの
強さがなかったがゆえに、
自分がやってしまったことで
相手がどれだけ傷つき、憔悴したかを
見ることもできず、
仕方がなかったんだ、とか、
あぁするしかなかった、とか、
逆ギレしたりして、相手をさらに
傷つけてしまう悪循環。
あぁ自分はそういう人間なんだよって
開き直ってみても、本心では
そういう自分の弱さも醜さもずるさも、
これっぽっちも認めちゃいないんですよね。
心のどこかではそれが分かっているから、
自分に誇りが持てず、自尊心がくじかれる
わけです。
そういう状態、いつまで続けますか?
死ぬまで逃げ切るつもりでしょうか?
健全な自尊心が保てないというのも
辛いものです。
あと何十年、じくじくと痛むその心を
抱えて逃げるつもりでしょうか。
どう修正したらいいかわからない
と言われるのかもしれませんが、
複雑なことは何にもありません。
自分の非を認め、謝ればいいんです。
本当に悪かったね、と
心から自分のやったことを受け止めて、
相手の痛みに直面し、
痛む自身の胸を自分で支えつつ、
衷心から伝えることです。
悪者になりたくなくて逃げても、
自分の心の底では自分は悪者だって
わかってるわけですから、
逃げ切れるはずはありません。
悪者の上に卑怯者のラベルをこれ以上、
上塗りしないように。
何より、健全な自尊心を取り戻すために、
事実に立ち返るのです。
こじれてしまった人生を正しく戻すには、
真実が一番の癒しの薬です。
ここに立ち返らずに、体裁だけ
自分の都合の良いように取り繕おうとするから
おかしなことになるのです。
そして、そういう在り方の積み重ねこそが、
今のその地獄のような苦しみを生み出して
しまった原因ではないでしょうか。
だとしたら、まさにその点こそ
次の自分には持ち越してはいけないものであり、
根本から崩壊させてしまわなければ
いけないものでしょう。
それを温存しようとすることは
今後も禍根を残すことになります。
そしてまた、
同じことを繰り返している自分に失望し、
逃れられない地獄だと勝手に思い込んで
自分を苛むのです。
逃れられないも何も、自分で戻っていくことを
選んでるだけですからね。
誰もそんなこと、強制してません。
在り方を変えるというのは
勇気が要ることでしょう。
でも、在り方が正しく転換された後の
清々しさは、何物にも代えがたい
価値があります。
人間とはかくあるべし、という、
後ろめたさがない晴れやかさは、
何と心地良いものでしょう。
そして、自責の念や後ろめたさが
どれほど命の根を痛めるのか、
わかるでしょう。
強さとは、
誰かを理不尽に責め立てることのできる
力を誇示することではありません。
苦しい中でも、ゆるぎなく
自分の為すべきことを為し通せる力を
言うのです。
正しい力を、正しく使える
自分であるように。
コントロールというのは、
誰かを自分の都合の良いように
重いまま動かすことをいうのではなく、
邪な道に自分が逸れないように
律する力を言うのです。
偽りの力を使うほどに、
一瞬、パワフルになったように錯覚しても、
実はどんどん無力になっていきます。
そして、無意識にも感じるその無力感を
打ち消すために、さらに偽りの力を奮う。
その悪循環にはまるのです。
こういうネガティブスパイラルにはまったときは、
転換するときにとても勇気が要りますが、
自分の持てるエネルギーをぐっと集中させて、
それまでとは違った流れに反転させるんですね。
そこができれば、あとは何も難しいことは
ありません。流れに従って、
正しく力を使って行けばいいだけです。
長く苦しむだけ損です。
早いうちに、素直になって、
良心に従った方がずっと幸せです。
意固地になることにエネルギーを使うか、
素直になる勇気を奮うために
エネルギーを使うか。
ぜひ、建設的な方向で
エネルギーが使われることを祈っています。