人生、本当に色々あるけれど、
自分に嘘をついて、無理に無理を
重ねてきていると、
あるとき、
そういう在り方を根底から軌道修正
させられるような状況がど~んと
やってくることが、しばしばあります。
青天の霹靂のように、外的な出来事によって
否応なくそれが起こる場合もありますし、
うすうすわかってはいたけれど、
行動できなかったものが、
あるとき自分の内側からの叫びが
バ~ンと弾けるということもあります。
そうなると、それまでどうにか
我慢に我慢を重ね、あるいは、
見ないようにして過ごして
表面的な調和を保っていたものは、
跡形もなく吹き飛んでしまいます。
そうなってしまったら、
元のように修復するとかのレベルではなく、
根底から自身の在り方を作り替えなければ
なりません。
かけ違ったボタンを正しくはめるには、
全部外して、もう一度正しく掛け直すのと
一緒です。
歪んだ斜塔をそれなりに立たせるのではなく、
そもそも真っすぐに安定して立つように、
建て直すんですね。
心の構造もこれと同じようなところがあり、
根本的に在り方を変えようと思ったら、
それなりのエネルギーと覚悟と、
継続して取り組んでいく忍耐力が要ります。
そこまでしようと思うには、
本人にそれなりの必然性がなければ
とても歩み切らない道のりです。
それをしなくてもそこそこ生きていける、
まだ大丈夫、他の道がある、と思う内は、
なんだかんだ言って、選ばないでしょう。
そういう意味で、すべての人に必要なこと
でもないのだろうな、と思うのですが、
結局は、優先順位なのだと思います。
人によって、歪みの大きさや気づきの感性など
それほど大きな転換をしなくても大丈夫な
方もありますが、かなりの大改革になる方も
確かにいらっしゃるんですね。
破壊と創造はセットとよく言われますが、
新たな自分を創造するには、
古くなって、自分の実情には
既に見合わなくなったものを手放し、
新たなものが生まれ行くスペースを
作らなければなりません。
けれど、変革を恐れる多くの人は、
この何もないスペースをことのほか、
恐れるんですよね。
自分のアイデンティティの一部であったものが
消えてしまって、自分が消えてしまうように
感じられるからです。
でも、あなたは消えてません。
まだそこにいるでしょう?
ぽっかりと、穴が開いたように
なってはいるけれど、
そこで虚無感に浸っていないで、
じっとその何もない感覚を
受け止めていましょう。
そこで、自分から離れて、
フワフワしていてはいけません。
今までの自分の調子とは違うけれど、
しっかりその自分とともに在ってください。
そうすると、徐々に落ち着いてきます。
今まで自分を支えてくれていたものが
なくなって、不安になったり淋しかったり
悲しかったり、混乱したりするかも
しれませんが、
そうした気持ちを逐一、抱きしめ、
受け止めてあげるのです。
それらの感情は、手放したものを失ったから
生じたものではありません。
あなたが手放したものを得るもっと前から、
もともとあなたの中にあったものです。
それが自分でどうにも受け止められず、
埋められなかったから、
それを埋めてくれる何かを求め、
それで埋めてきたわけです。
それが完全に心地いいものではないと
知りながら、痛みをもたらしていることに
目をつむりながら。
今起こっている変革のプロセスは、
まず自分でこれらの虚無の数々を
受け止め、埋められる自分になるために
起こっていることです。
今、自分がどこに向かっていて、
何をすべきなのかをしっかりと
理解しましょう。
再び、何か外のもので自分を埋めようと
新たな別のものを探し出すようなことの
ないように。
それをしてしまったら、
また同じことを繰り返します。
あなたの、自分自身で立つ力を
自身の深奥から引き上げていくのです。
今まで、それを怠ってきたからこその
その生き辛さ、苦しみでしょう?
何歳であろうと、遅すぎることは
ありません。
死の瞬間にわずかでも、
自分で立つことを知って死ねれば、
そうでなかった自分で死ぬよりも
余程この人生を生きた喜びは
深いと思いませんか?
このプロセスを歩むときは、
先を急がず、丁寧に一歩一歩を着実に
踏み固めることです。
近道はありません。
そうしていく内に、
やがて、今までに感じたことのないような
自由と心の安寧、世界の明るさを
感じられるようになっていくでしょう。
何より、自分自身との対話を
深く重ねていきましょう。