私は以前から、見えているその現状には、
そうなっているだけの理由があり、
経緯があってそうなっている。
だから、見えている状況だけ変えればいい
というものではない、ということを
常々お話してきています。
それは、感情解放ワークを通して、
一見、とても不自由そうに見えたとしても、
その状態であるからこそ支えられている
心の構造があるので、
自由になれるんだから手放してしまえば
いいという理屈だけだと、却って
頑なに委縮してしまうようなこともある、
ということをたびたび経験してきたから
至った思いでした。
何かを変えようと思ったら、
なぜそうなっているのか。
それを変えたとしたら、
無くなってしまうメリットの穴を
どう埋めるのかとか、
新たに必要となる力学をどう構築するか
というところまでを見通したうえで
適切な順番とタイミングで
導いていかなくてはなりません。
たとえば、穴が開いているなら
ふさいでしまえばいいのかと言えば
そうではなく、
その穴がどうやってできたのか、
ということがわからないと、
どうふさいだらいいのか、
あるいはそもそもふさがない方が
いいのかもわかりません。
不慮の事故で突然開いてしまった穴
ならば、一刻も早くふさいだ方が
いいのかもしれませんが、
そもそもその事故がどうして起きたのかが
分かれば、そのふさぎ方にも以前とは
違った素材を使った方がいいとか、
別の構造にした方が適切だとか
以前よりも良い状態にする工夫ができます。
あるいは、もっと広い領域に目配せをして、
そこだけにかかっていた負荷を分散させるとか
総合的な力学をデザインするところまで
必要になるのかもしれません。
こういうことが、内面的な心の領域でも
必要なんですね。
よく、何か浮遊霊のようなものに
取り憑かれたけれど、単に祓っただけでは
また同じように憑いてしまうとか、
言われるのもその話の延長線上にあることで、
そもそもそういう存在に容易く
取り憑かれるような在り方をしていては
いけないし、そういうものを引き寄せない
在り方を少しでも確立しなければ、
いくら祓っても元の木阿弥です。
呪いの場合もそうで、
単に被害者というだけではなく、
なぜそんな現象を自身の人生に招いたのか、
その種を掘り下げていかなければ
その出来事が人生に差し出したメッセージ
(学び)の受け取り完了とは
ならないんじゃないかな、と
個人的には思います。
呪いには、かける側の濃密な思念の糸が
ありますよね。
そうしたものが絡んできているということは、
受ける側にも同じくらい、濃密な思念の
エネルギーがあるのであり、
そこに同質の感情レベルのフックがあるのです。
もしそういうものがないのだとしたら、
その人は人生でそんな現象には一度も
遭うことなく一生を終えるだろうし、
むしろ、そういう出来事があること自体が
あり得ないこと、に感じられるでしょう。
たとえば、1か月に3回くらいは
血まみれの人に普通に出会うよねって
言われて、どれだけの人が、
あるある~!って言うか。
まぁ、そんなような話です。
そういうことは、ネガティブだけではなく、
ポジティブなことも同じです。
ポジティブなことで、自分に人生に
大歓迎なのであれば、その種を大切に
育てていけばいいですが、
歓迎したくないのなら、
種自体をどうにかしなければいけません。
最近はセッションの中で
呪いの解除をする機会が多かったのですが、
私は呪術の専門家ではないので
そういう技術的なことはよくわかりません。
ただ、その出来事の因果というところを
辿っていくと、種を除くことで
そもそも呪いがかかっていない現実に
転換させることはできます。
自分の側にある、呪いの受容体となっている
フック自体がない自分になればいいのだし、
そういう自分に本当になったとき、その自分は
呪いがかかっていた自分の持っていた
過去と未来とは違った、別の過去と未来を持った
自分にシフトしているのです。
だから、それまでの自分とは、
ある意味別人になっているわけですね。
たまに、そうなることに抵抗する人も
ありますけれど、その辺はその人自身の
選択でしょうかね。
過去は変えられないと言いますけれど、
セッションやってると、そんなことは
全然ないんですよね。
今この瞬間に真摯に向き合うことで、
過去も未来も変わっていく。
そういう現場を日常茶飯事に
目の当たりにします。
ビジョンの中で、ストーリーが悲劇から
幸せなものに変わるのもあるし、
事実は変わらなくても、
自分自身にとっての意味がまったく
違ってくる、という場合もあります。
いずれにせよ、
自分を苦しみに縛り付けていたものは、
必ずしも永遠に効力を発揮し続ける
ようなものではない、ということが言えます。
結局のところ、自分に何がどれだけの
影響を及ぼすかを決められるのは、
自分自身、ということなのでしょうね。