最近、ちょっとブログを書き溜めているので、
タイムラグはあるのですが、
今回の豪雨で被災されたみなさまに、
心よりお見舞い申し上げます。
災害は避難しているときも大変ですが、
命が助かった後がまた長丁場の復旧作業が
ありますから、長い目で心を寄せて
いきたいと思います。
先日の無料遠隔ヒーリングでは、
祈りをテーマに働きかけをさせて
いただきましたが、
その最中に、今までにないくらい、
ジ~ンと胸の奥が熱くなるような、
何とも言えない気持ちが
湧き上がってきました。
そうして、何重にも働きかけの
バイブレーションが重なり、循環していく
この感覚は、初めてのものでした。
やはり祈りというのは、
どんなにささやかに思えても、
馬鹿にしたものではないな~と
改めて感じたのでした。
昔は、祈りと願望の違いも
よくわかっていなかったのですが、
(今も祈りを明確に理解している
とは言えないのですが)
さっくり言えば、
願望は個人的に望むビジョンのイメージで、
祈りは無償の愛に近いイメージでしょうか。
だから、祈りを向けられた対象にとっては
その祈りはいかなる強制も縛りもなくて、
その対象本来の良い状態になるよう
向けられたエネルギーという感じがします。
たまに、強烈にこうなって欲しいので
みなさん一緒に祈ってください
という呼びかけも目にしますが、
本来祈りは、それがなるべき姿に
なることを促す力だと思うので、
たとえば、病気の方のために祈るときは、
必ずしもその方が快復される結果ばかりが
最善ではない時もあるでしょう。
けれど、そうであったとしても、
祈られた結果と祈りがなかった結果では、
やはりどこか安らぎや晴れやかさなどが
違うと思います。
何事も、人間のエゴ目線の良い状態と
神様や魂目線の調和は、必ずしも
同じとは限らないのでしょう。
同じ、困難と見える状況においても
人の心持ちひとつで経験することは
違ってきます。
絶望に沈んだ心には見えない可能性が、
希望を持った心には見えるかもしれません。
無力感に苛まれた人には選べなかった選択が、
生きる気力のある人なら行動できる
かもしれません。
その状況に置かれた人たちの心を
左右するのは、何でしょうか。
政府の支援が厚かったら
心配しなくて済むこともあるでしょうけれど、
そういう外的、具体的な目に見える助け
以外にも、人を活かす力って
あると思うのですよね。
これからの時代は、よりきめ細やかに
一人一人がそういうものを発揮していくことが
本当に大切になってくると思うのです。
みんなが余裕がなくなっていくときだからこそ、
どれだけその状況でその力を発揮できるか。
祈りって、与える力に通じるものが
あるような気がします。
大上段に構えた「与えてやるぜ!」
みたいなものではなく、
無心で、見返りも求めずにひたすら
与えることで、返ってくるものがあり、
そしてさらに与え続けるという循環。
銀行預金や投資なんかよりはるかに
大きな利子のついた循環が
起こっていきますね。
お布施とか利他行というのも
本来はそういう方向の循環を起こすための
ものかな、と勝手に思ってます。
よく、寄付をしたり奉仕をしたりすることで
その人のカルマが浄化されるなんて話も
ありますが、
実際にそうすることで、どこか清々しかったり
自分の心がどこか洗われる感じがする
経験をされた方もあるでしょう。
不足感や無力感に苛まれていたりする方は、
そういうことをすることで、本来の自分の
豊かさや力を取り戻していくきっかけに
なっていくんじゃないかと思います。
無いと思うからますます抱え込み、
失う恐れに苛まれ、心が固く閉じこもって
しまうのでしょうけれど、
気の向くことでいいので、
何かしら他者をいかすために
自分のできることをすることで、
無いという幻想とそこから生じる
恐れの流れを反転させられるのだと
思うんですね。
逆流していたエネルギーの流れで
生きづらかったのが、正しいエネルギーの
流れに戻るので心地よく生きられる
ようになる、みたいな感じかなと思います。
3次元的に、体を使うもよし、
お金を使うもよし、
ただ無心に祈るもよし。
いずれにせよ、祈りも奉仕も、
他者を活かし、自分を清める行為なので、
偽善だとか敷居が高いとか言ってないで、
どんどんやってみたらいいんじゃないかな
と思います。
案外、ハマるかも?(^^)