人生における様々な苦しみの根っこを
掘り下げていくと、幼少期の家庭環境の
影響が色濃くある方、多いですね。
善かれ悪しかれ、その影響がない人は
いないだろうと思うのですが、
その苦しみが深い分、自分の苦しみの
理由を知りたくて、様々な探求を長年、
されてきている方も結構いらっしゃいます。
セッションでも、最初からそこをテーマに
申し込んで来られる方もありますし、
全く違ったテーマで掘り下げてみたら、
やっぱりそこが出てきた、という
ケースもあります。
苦しんだ本人からしてみたら、
親に何かしらの恨みや怒りなどを
抱いていたりするのですが、
リーディングしてみると、その親御さんも
親御さんなりに生活が大変だったり、
嫁ぎ先との折り合いが悪くて日々
息の詰まるような生活を送っていたり、
様々な理由から、焦りと不安と諸々で
パニックのようになりながら
子育てされてる様子が見えたり
するときがあります。
大変だったんだろうなぁと、
若かりし頃の親御さんの様々な気持ちに
触れながら、
そんな状況の中で
思うようにかまってもらえなかった
子供時分のその方の辛さ、悲しみ、
愛されない絶望などに向き合います。
こういうケースでは、まずは
本人の幼少期の諸々の感情を受け止める
ところから入って、親に言えなかった言葉、
本当のニーズを伝えることから入ります。
大抵、子供に向き合えていない親は、
そうしようとすると、ものすごく
心身に負担感と言うか、何かしらの
ストレスを感じます。
だからそこから逃げようとするのですが、
その負担感、不快感などを親の視点に
入ってみて、受け止めるということをします。
これはイメージワークで行います。
それができると、子供に向き合ったときに
親が感じていた苦しさが和らいで、
子供に向き合えるようになるんですね。
すると、イメージのビジョンの中で、
かつて親が自分にしていたのとは
違った態度で接する様子が見えたりします。
こうすると、かまってもらえなかった、
愛されなかった自分という過去が
変わるんですね。
実際、親への気持ち、感じ方は
その瞬間から和らいで変化していきます。
根が深い場合だと、これを
3代とか4代にわたって遡って
することもあります。
父が自分を愛してくれなかったのは
実は祖父の父への愛情表現に問題があったり、
更にその祖父に対する曾祖母の接し方に
歪みがあったり、
ということで、
その代その代のこじれた感情のエネルギーを
解放していくわけです。
なんで自分が先祖の苦しみを味わって
解放していくのかと言えば、
全く同じものが自分の中にもあるからです。
親が受け止められなかったものが
今の自分も受け止められないから
苦しいその現状があるわけです。
つまり、
親や先祖の中に在ると見えるものを
受け止めることで、自身がこれまで
受け止められなかったものを
クリアしているわけです。
どんな家系でも、それぞれに
特有の傾向と事情があったりするものですが、
その時代その時代に生きた人たちの
思いに触れることは、言いようのない
重さ、尊さを毎回感じます。
どの人の人生も、
尊厳のない命はありませんから。
どんなに恨みや憎しみ、ひねくれた嫉妬心や
卑屈さ、絶望や惨めさにまみれた人生
だったとしても、
ほんのわずかなきっかけで、
輝くばかりの凛々しさと逞しさ、
美しい魂に生まれ変わっていくのを
間近で見るので、
人間の可能性と言うのは、
今見えている姿で決めつけられるもの
ではないのだと思うのです。
この仕事をしていて、
本当に役得だな、と思うのは、
時空間を越えて、かつて生きた、
そして今も生きている人たちの気持ちや
思いに触れて、伴走できることと、
生気無く、死んだように生きていた人の目に
生きる気力とその人らしい、真っ当な光が
蘇ってくる瞬間に立ち会うことができること
が何よりの喜びとできるところでしょうか。
親子関係に悩む人は多いけれど、
本人が本当に向き合おう、被害者の自分を
卒業しようと決意するならば、
必ず超えられるものだと思います。
ただし、被害者の自分のまま、依存し、
依存される関係性もそのままにして
苦しみだけ無くそうとするのは無理です。
恐がっても不安でもいいけれど、
その恐れも不安も受け止めようとする
意志がなければいけないし、
させられている、仕方がないからやる
という意識では到底越えられません。
自分の意志で、自分の不幸を
誰のせいにもせず、言い訳もしないと
肚が決まったら、問題と見えたものは
驚くほど楽に解けていくものです。
難しくしているのは、
自分の在り方ひとつですね。