「朱に交われば赤くなる」という諺があるように、
どんな人と付き合うかはよく吟味した方がいい
ということについて、書いてみます。
腸内細菌じゃないですが、
私たちの中には善玉菌のような善の要素と
悪玉菌のような悪といえるような要素があり
大部分はそのどちらでもない中間的な
日和見菌のような要素なのだろうと
思います。
そして、その日和見菌的要素は、
環境によっていかようにでも大きくなったり
小さくなったりして、私たちの言動に
常に影響を与えているように思うのです。
腹の底まですべて善玉菌という人は
相当な覚者でもない限り、
そうはいないだろうし、また逆も然り。
だからこそ、自分をどんな環境に置くかが
とても大切なんですね。
これまで、セッションで様々な方を
拝見させていただきましたが、
付き合う人が悪いと、エネルギー的にも
相当その汚れを被ります。
根が善くても、その本質の上に
まるでアブラムシのようにわらわらと
よろしからぬものが被さり、
体の中にまで入り込んだりして、
酷い場合にはその人の原型が見えなくなって、
え?この人、人間だよね?ってくらい
まるで化け物のようなエネルギー体の姿に
見えたりします。
犯罪的なことに手を染める人は、
結構こういう傾向が強く見られますね。
で、そういう人は、やはり同じような
状態の人が集まるところに引き寄せられていくし、
そんな場所にいる人達を見ると、それはもう、
ここは地獄だろうか?と思うような
世界に見えます。
(私はそういう場所に足を踏み入れたことは
ないので、あくまで遠隔リーディングです)
こんなところに出入りしているようじゃ、
その人の本質の善いところは出てこられない
だろうし、
仮にそういう要素が目覚めようとしたら、
悪の要素でつながっているお友達が
寄ってたかって引きずり降ろそうと
あらゆる手を使って邪魔してくるでしょう。
だから、子育てされてる親御さんは、
自分のお子さんがそういう領域の人と
交わらないように守り導く義務があるし、
成人してからは、自分でちゃんと
そういうものには近づかないという分別を
持てるように、弱きに流されずに
踏みとどまれる力を養わなければいけません。
そういう世界とかかわってしまうと、
足を洗うのは相当に大変です。
かかわらないに越したことはありません。
けれど、世間の一部には、そういう世界を
「カッコいい」ものだと思わせるような
様々な情報が溢れていて、
判断力や識別力がまだ未熟な人には
足を踏み入れてはいけない領域の境界線が
意図的にぼやかされているところが
あるような気がするのです。
その結果、そういう志向性を持てない自分に
劣等感を感じてしまったり、という人も
いるのだと思うのですよね。
でも、そんな劣等感など不要だし、
却って健全な識別力、直観力である
とさえ言える場面もあるでしょう。
素直さ、素朴さ、清らかさが尊いものである
という意識が社会の基盤として
ゆるぎなく出来上がっている世界
であってほしいし、強くそれを望みます。
生きることの苦しさからそういう領域に
向かってしまう人もいるけれど、
それをしたところで、
決して楽にはなりませんからね。
そういう勇気と反骨精神があるのなら、
それを、自分を誇り高く生きるための力と
気概や意地に変えたらいい。
その方がよほど報われます。
苦しさゆえにズルズルとよからぬ道に
引きずられるような魂は、もうそれだけで
あちら側から見たら「カモ」でしかない
ですからね。
甘い言葉をささやかれても、
絶対乗っちゃいけません。
自分をそうした存在の
「エサ」にしていいのかどうか
よく考えることです。
まぁ、そうだよねって普通にわかる人は
そもそもそんな世界なんて端から
かかわらないんですけれど。
既にかかわりかけているなら、
あらゆる支援とサポートを総動員して
協力してくれるチームを作ること、かな。
なかなか一人で戦うのは
難しいでしょうからね。
私はそういう世界の専門家ではないので、
あくまでエネルギー的に見た
アドバイスですけれど。
そういう世界にちょっと興味を持っちゃった
という方は、さっさとそんな興味は
遠くに放り投げて、離れましょう。
必要な方に、届きますように。