一事が万事、なんてよく言いますが、
セッションしてると、なぜそうなるのか、
構造的なところがすご~くよく見えます。
その人の在り方の根幹が、
様々な分野、領域に投影されるだけなので、
元の在り方の癖がありとあらゆるところに
表れてくるんですね。
例えば、人とのかかわり方が表面的で
どこか距離を置いて遠くから見ている感じ。
決して自身の本心を打ち明けることはなく、
一見、それなりに付き合っているように
見えても、実際はだれも信用していない
というような人がいたとします。
こういう人は、自分自身に対しても
同じようなスタンスで接していて、
親密に付き合って傷つくのも嫌だし、
面倒をかけられるのも嫌。
だからあまりかかわらないというような
スタンスを取っていたりします。
その在り方が、
大切な家族や恋人に対しても展開されて、
信頼し合いたい関係性においても
同じように深い信頼関係を築くことが
できないのです。
逆に言えば、大切な人とはできるのに、
自分に対してはできない、とか
自分にはできるけれど、家族にはできない
などということはあり得ないのですね。
一事が万事、その在り方で生きているので、
必然的に、仕事も恋愛も家族も友人も、
あらゆる関係性で、同じ問題や現象が
起こってきます。
だから、恋愛に取り組みたいです!
と言っても、セッションでやるのは
家族関係になったり友人関係だったり、
そして最終的にはどれも
自分自身との関係性を修復することに
収束していきます。
どこから入っても、
結局たどり着くところは一緒なんですね。
これ故に、
自分に向き合うとかやりたくありません!
自分なんて嫌いだし、私を大切にして
愛してくれる人が現れればそれで全部が
解決するんだから!みたいな考えの人は
セッションしてもあまり意味がないです。
自分を愛せなくて、どうしてあなたを
愛してくれる人が現れるというのでしょう。
あなたが出会う人は、
あなた自身の写し鏡だというのに。
あなたが自分を憎めば、
相手もあなたを、あなたが自分を憎む
その理由故にあなたを憎みます。
たとえば、容姿が醜いとあなたが自身を
憎めば、相手もあなたの容姿を憎みます。
あなたが自身の能力のなさを責めれば
相手もあなたの能力のなさを
あなたが自身を責めるのと同じやり方で
責め立てるでしょう。
だから、
本当に相手があなたを愛し、許すことを
望むのなら、あなたは自分を愛し、
許さなければならないのです。
誰かがあなたを愛してくれるから、
あなたは自分を愛せるようになる
のではないのです。
そこ、いまだに勘違いして
夢のようなパートナーを待ちわびている人、
少なくないんじゃないでしょうか。
この時期、多くの人が
世界から自分が見放されたように感じて
孤独や不安を抱えている人は
少なくないと思います。
けれど、そんなときだからこそ、
自分が自身を見放してはなりません。
諦めず、粘り強く生き延びる術を模索し、
自分を責めず、貶めず、信じ、励まし
大切にして、自分から離れては
いけないのです。
多くの方のセッションをさせていただいて、
人生の歯車が狂っていくたくさんの瞬間に
立ち会ってきました。
そこには共通するものがあって、
それは、自分が自身を見放し、
諦めて人生を投げ出したときなんですね。
その瞬間に、魔が入り込んだり、
救いの扉が閉ざされたりしているんです。
こういう人生を転換するには、
逃げ出してきた自分自身に戻って
その人生をしっかりと引き受けることが
ポイントになります。
押しつぶされそうな猛烈な絶望のエネルギーを
少しずつでも受け止めて、しっかりと
自分の足でその場に立って状況を見渡し、
可能性の扉を探すのです。
扉は、必ずあるんです。
でも、諦めると消えてしまう。
感情のエネルギーに飲み込まれていると、
それができないんですね。
そうやって粘り強く道を探していくと、
驚くほどストーリーが好転していきます。
救いようのない人生のように見えて、
救いは至るところにあったのです。
頭を抱えて、目を閉じて丸まっていては
不安と絶望に飲み込まれていくだけです。
不安と絶望を感じること自体は問題ないですが、
ただ、どうぞ自分自身を見捨てないでください。
あなたが自分を見捨てなければ、
あなたは見捨てられることはありません。
必ず手を差し伸べてくれる人が現れます。
ちゃんと、そういうご縁につながって
次の扉を開いていけるのですね。
自分を見捨てない、というこの一事が
魔法の鍵になることを、身をもって
知るときがあるでしょう。
自分が自分に対する態度を決めるのは、
一円もお金はかかりませんし、
時間もかかりませんね。
大きな混乱の世界で、
どうぞこのことを覚えておいてください。