誰にでも、思い出したくもない
黒歴史ってあると思うんですよね。
絶対に人に知られたくないってものから、
そこまでではないけれど、本当に辛くて
思い出したくもない。恥ずかしくて
無かったことにしたい、というような。。。
セッションでもしばしばそういう場面が
出てくるのですが、本人が自分の人生の一部を
拒絶、封印し、無かったことにする、
あるいは呪っていたりすると、当然、
自分の中で分離が起こります。
これがしばしば、様々な心の機能不全だったり
痛みの原因になっていたりするのですが、
よく、どんな出来事にも闇の側面があれば
光の側面もある、なんて言われますけれど、
光なんてないように見えるその出来事も、
きちんと向き合って当時の自分では
拒絶するしかなかったこと、
見ることのできなかったところを丁寧に
振り返りつつ統合のプロセスを進めると、
ちゃんと光の側面が見えてきて、
その時の自分を祝福することが
できるようになります。
そうすると、その人の中で分断されてた
人生が、あらゆるレベルで美しく調和の内に
再構成されるのです。
どうしても自分を大切に思えなかったり、
誰かを憎んで被害者と加害者のストーリーの檻に
自らを監禁し続けてきた、その世界観、
在り方が根底から突き崩されます。
逆に言うと、誰かを憎み続け、世界と
自身の人生を呪い続けたい、
絶対にこの世界観の檻から抜け出したくない
が故に、決して光の側面に目を向けようと
しない人もいますけれどね。
端から見たら、そんなにマゾ的な世界観に
閉じこもり続けることに、一体どんな価値が
あるのか?と思ってしまいそうですが、
それでもその人にとっては、
とても大切な、そして甘美な世界なのです。
まぁ、それはそれでその人の選択なので、
自ら助けを求めない限りは、
無理無理そこから引っ張り出そうとは
私はしないのですけれど、
(えぇ、私はその辺、結構ドライです。
人のお楽しみを奪っていくほど、
野暮じゃございませんし、慈悲深くもないので)
本当にそう言うところから抜け出していくのに
機が熟すってことがあると思うんですね。
そろそろ潮時かな、みたいな、
あれほど耽溺していた世界に、すうっと
潮が引くように執着が引いていく。
そんなタイミングが。
それは星周りのせいなのか、それとも
積み重ねた何かの修練や徳が宇宙バンクで
満期を迎えたからなのか、はたまた
カルマの借金を誰かが肩代わりしてくれたのか、
それはわかりませんが、
そういうときに、一気に人生が転換していく
ってことがあります。
それまで、どんなに頑張っても頑張っても
どうにも動かなかったことが、いともたやすく
すいすい行くのは、そういうときです。
自分の黒歴史を本当に祝福できたら、
それは丸ごと自分の命を祝福することに
近づくわけです。
私たちは自分で自身の人生や命を分断して
痛みを生み、自ら苦しんでいるわけですが、
実際に、嫌だって拒絶して切り離したもの、
固めてしこりのように異物にしてしまった
ものを取り戻していくことは、
本来の自分を取り戻していくことでもあり、
本質的には喜びと安堵をもたらします。
なぜ拒絶したのか、受け入れられなかったのか、
そこにある緊張や混乱、不安や怒り、憎しみ、
恐怖、悲しみ、ショックなど、
あの時のまま時間を止めている心に、
丁寧に時間の流れを取り戻していきます。
そうすると、しこりのように固まった
それらのエネルギーはゆっくりと流れていき、
その状況にある様々な要素に気づき、
触れ、拾えるようになるのです。
そうなるまでに、感情の嵐のようなエネルギーを
きちんと処理できないといけないわけです。
感情解放ワークがきちんとできると、
暴風雨のような感情のエネルギーで
見えなくなってしまっている人生の宝や鍵を
臆することなく拾えるようになります。
こうして、過去のいかなる闇の中にいる
自分のところにも降りていけるし、
側に行って触れ、その自分を癒し、
助け、抱きしめることができるのです。
そのとき、いかに深い闇も、
あなたは自分で光に変えることができます。
深い闇ほど、変容が起こった際には
強烈な光に転換するものです。
だから、深い闇を恥じることはないし、
それだけのキャパシティをあなたが持っている、
ということでもあるのです。
闇にのまれることなかれ、
光にのまれることなかれ。
双方に深く触れて、
その反応の爆発の中で、
無限大の愛に抱かれるべし。
何も問題はないのです。
あなたが、それを忌み嫌わなければ。