たまに、クライアントさんから
近況報告のメールをいただくのですが、
ご自分なりのペースでコツコツ
自分に向き合うことを続けていらして、
様々な気づきがたくさん詰まった
ご報告など拝見すると、私も嬉しく、
ガッツポーズになります(^^)
そんな中、ある方はご自身の昔の写真を
見ていて、昔は懐かしいというような感情が
あったそうなんですが、今はしっくりこない
というか、以前の自分の姿に違和感を
感じられる。
「自分を認められてきた今、
当時の自分の写真を見ても、
心を動かされない…」
そうなんですね。
そんな経験がないですか?っていう
ご質問をいただいたんですが、
写真ではないですが、色々ありますね~。
何で写真がないかというと、
昔の写真、ほとんど捨てちゃってるから、
物理的に、見る機会がないってことで。笑
20代のころまで、ほんとに生きるのが辛くて、
たぶん自分は30,40歳まで生きてないだろうし
自分の生きてた痕跡を根こそぎ消してやろう
って思ってたので、母のところにある写真
以外はほんとに無いんです。
ま、それ以降も何度も断捨離してますが、
かつてものすごく心を動かされて
大切だったものが、時を経て
何の感慨もなくなっちゃうのは
ありますね。
昔の恋愛がらみの思い出の曲とか、
以前は聞くたびに号泣してたのに、
今は街で耳にしても、何の感慨もなく、
それがかつて自分を号泣させていた曲だとも
気付かなかったときは、自分でもびっくり
しましたけど。(^^;
あるいは、以前は大切にしていた
意味あるものが、ある時期断捨離してたら
なんでそんなに大切にしていたのか
と思うほどにあっさり捨てられたとか。
まぁ、誰でもそんなことは
あるんでしょうけれど、
感情解放ワークやってると、
トリガーされる感情の地雷自体が
少なくなっていくのと、
精神的な構造自体が変わっていくので
感じ方がすごく変わっていくというのは
あると思います。
さらにやり込んで、
エネルギーボディ自体に変容が起こると、
トリガーが無くなったり
考え方が変わるから、という以上に、
感情を感じる感覚自体が変わります。
それはとても表現しづらいのですが、
ネガティブと言われる感情を感じても、
かつてほどの重さもなく、
その感情が引き連れているストーリーと
感情のエネルギーがもたらす感覚を
分けてとらえられるようになります。
だから、以前の自分がどういう風に
感情を感じていたか、というのも
今ではあまり覚えてないくらいなんですが、
間違いなく言えるのは、
今の方がずっと生きるのは楽だし、
人生を楽しめてるよねっていうのは
実感としてあります。
しがらみがどんどん少なくなって、
好きなように生きてるからでしょうね。
嫌いなら嫌いで離れても、
それでリスクが生じるならそれも負える
自分であるというパワーの感覚が自分の中に
しっかりあるし、
別にそれに寄りかかっていなくても
自分の人生を自分で充実させられるので、
問題ないんですね。
誰かに幸せにしてもらう必要がないので、
一緒にいて楽しければどうぞ、だし、
嫌ならそれもどうぞ、だし。
気が向けばやるし、気が向かなければやらない。
腹を割った話し合いの中で、時には結構
言われたくないことも言うかもしれないけれど、
私の時も遠慮なく言ってほしい。
ま、それでお互いが折り合えなかったり
理解できない、方向性が違うとなれば
さよなら、だけど。
ただ淋しさや不足感を埋め合わせるためだけに
一緒にいたい、つながっていたい、
というパワーゲームは気持ちが悪いので、
そういう絡み方をしてくる人はごめんなさい。
誰かを崇拝することも、崇拝対象になることも
まったくもってごめんこうむりたい。
それぞれが唯一無二の自分自身を
大切にしているところからが、
健全な関係性のスタートだと思うので。
もちろん、私にだっていまだ
劣等感もあるし無力感もあるけれど、
そういうところも含めて、自分だしね。
書き出してみると、なんてわがままで
自分勝手に生きてる人間なんでしょうね~。
以前は、自分を大事にしてなかったし、
信頼してなかったし、嫌いだったし、
人生なんか捨ててたから、
わがままにもなれませんでした。
自分が何が好きで、何を憎み、
何がしたくて、何をしたくないのか、
さっぱりわかりませんでした。
わがままも、ただ駄々をこねるのではなく、
わがままを貫き通すために生じるリスクを
自分で負うことができるなら、
一本筋が通ってていいんじゃないの?
って今は思うかな。
それをしないで自分だけ好き勝手にやって、
人に迷惑をかけっ放しにするのは、
ただのお子ちゃまですね。
成熟した人間として、
潔く、自在に自分自身の人生を生きるべし!
と思うのでありました。