セッションをしていると、
魂が深く眠っているような方に
出会うことがしばしばあります。
一見、それなりに社会生活を送り、
それなりの葛藤を抱え、
それなりに何ごとかを為し、
人生を送っています。
けれども、生きることに後ろ向きで、
人生に現実味がなく、夢を語っても
魂の響きや体温がまるで感じられず、
どこか取ってつけたような感覚がして、
嘘くさいのです。
って表現をすると、とても失礼な
言い方になってしまいますが、
でもその人自身のオリジナリティとか、
命のみずみずしさがまるで
感じられないのですよね。
何を感じますか?と問うても
マインド(思考)からしか答えられない。
感じることをしないで考えて答える人は
そんなに珍しいことではないけれど、
魂が深く眠っているような人は、
ただ自分の感情を抑圧している、
感覚を遮断しているとかいうのとも違う、
もっと深いレベルのまどろみを感じます。
以前サロンに来られていた方の中で、
他所でリーディングセッションを
お受けになられたときに、
あなたの魂は2万年くらい眠ってますね
って言われましたっていう方も
いらっしゃいましたが、
こういう深いまどろみにある方は、
他のケースとはちょっと違った
大変さがあります。
いずれにせよ、本当に目覚めるのか、
それともまだ眠り続けるのかは、
いかに働きかけ、呼びかけたとしても
本人しか決めることができません。
人生を嫌悪、あるいは忌避していても、
そこまで魂がまどろんでいないケースでは、
そういう気持ちを抱くに至った辛さを
癒してあげれば、人生を受け入れ、
歩み出すことはそう難しくはありません。
けれど、魂がまどろんでいる人は、
どれだけ顕在意識で目覚めたい、
どうにかしたいんだともがいていても、
その意志が魂と分離しているのです。
深くまどろみ続ける魂を見るたびに、
この魂の根源の願いは一体何だったのだろうか、
とじっと心を静めて探ってみるのですが、
天岩戸の奥にお隠れになった
天照大御神の御心を伺い知るがごとく、
なかなかに読み取ることはできません。
その魂自身で目覚めの時を設定しているのか
いないのか、何を朝告げ鳥の声とするのか、
いずれにせよ、顕在意識レベルの自分が、
どうにかして自身の眠れる魂にコンタクトし、
目覚める必要性を気付かせること
なんじゃないかな、と思うのです。
他の誰かに起こしてもらう、のではなくてね。
こういう魂の状態の方は、
自分の内側に意識を向けると、
途端に訳が分からなくなるか、
眠くなってぼ~っとしてしまう
という方が多いような気がするけれど、
そんなまどろみに飲み込まれることなく、
眠れる魂の隅々に響き渡るように、
起きろ!目覚めの時だ!
って号令をかけられるか。
目覚めたいとは思ってるんです~とか、
どうしたら良いのかわからないとか
言っているうちは、たぶんまだまだ。
目覚めたいと思ってるだけじゃダメだし、
わからないのならどうしたらわかるのか問い、
自分でわかる方法を探さなくちゃいけません。
なぜ思っているだけで止まっているのか、
なぜ自ら問い、知ろうとしないのか。
それこそが眠っている証。
容易く誰かが正解を持ってきてくれるのを
餌を待つ雛のように、
ただ待っているだけなのでしょうか。
まどろむ魂の人たちは、しばしば
自分で歩む以外に無いはずの、
自身に対峙するプロセスを人任せに
しようとしたり、
精神的に、自分で立とうとしない
傾向があるように思います。
なんか、イメージ的にぴったりの
動画がありました。↓
自分に向き合おうとすると、
混乱するからだと思いますが、
混乱の中で自分を保とうとするよりも、
進んでその中に飲み込まれていくような。
動画のワンちゃんも、引きずられてるの
楽しそうですよね。
眠れる魂にもがく人は、
それどころじゃないくらい苦しいんだ
と言われるかもしれませんが、
セッションしてる時の感覚で言うと、
働きかけ自体を拒絶している感じは
しないんですよね。
引っ張って~って感じ。
魂がまどろんでいるから
自分自身を支えられないのか、それとも
自分で立とうとしないから、
魂がまどろんでいるのか。
それとも、実は十分に目覚めることが
できるのに、あえてやらずにいるのか。
動画のワンちゃんは、引きずられながら、
ひょこッと立ち上がってましたね。
まぁ、すべてのケースに当てはまるかどうかは
別として、案外、こんなものなのかもしれません。
何か気付きのきっかけになれば幸いです。