最近、愛を受け取ることを躊躇し、
与えることを出し惜しみしている
方たちの姿を見ることが続いて、
多くの人が愛に憶病になっているんだな
ということを感じていました。
愛がほしくてほしくて、それを得ようと
長年もがき苦しんでいるのに、
いざそれが差し出されると、
途端に踵を返して全力ダッシュで
自ら遠ざかっていくみたいな人もいますし、
裏切られるのが恐いと言って、
深く愛してくれた人を、裏切られる前に
自分から裏切って去っていく人もいます。
あるいは、失うことが恐くて、
そもそも関係が深まっていく手前で
グズグズしている人もいます。
何だかんだ言っても、今自分が居るその現実が、
一番居心地が良いポジションなんですよね。
でも、そこにずっと留まるのも、
また苦しいものです。
もっと楽に、愛すること、愛されることに
自分を開いていきたいものです。
そういう状態になっているのも、
自分なりの理由があり、覚えていてもいなくても、
かつて自分で閉ざそうと決めたところが
あるわけです。
ワークで掘り下げていくと、
様々なストーリーがでてくるでしょうし、
そこで愛の行き違いを修復して和解することで
愛の健全な循環を取り戻していく人も
多くいます。
一度で回復しきれなくても、
様々なアプローチから繰り返し取り組みを
積み重ねることで、強固だった愛への拒絶が
緩んで受け入れられるようになる
ケースもあります。
自分がどれだけ愛を拒絶しているかは
人によって根の深さが違うので
一概には言えませんが、
愛の循環を拒絶することは、
人生を生きることへの拒絶であり、
神への怒りと憎しみが絡むこともあり、
そして何より、深い絶望とともに
この生を歩むことになります。
そう考えてきてみると、
愛は生きることそのものであり、
私たちの命でもある、と言えるでしょう。
愛を拒絶する人たちも、
顕在意識レベルではもちろん愛したいし、
愛されたいのです。
でも、頭だけでアクセル踏んでも、
空回りするだけです。
自分がどれだけ愛を受け取れているのか、
拒絶することで安心しているのか、
受け取ろうとするときに、
どんな心の動きが起こっているのか、
注意深く見て、
自分が愛を受け取れないのは、
誰かが邪魔をするからではなく、
自分で拒絶しているのだという自覚と、
まさにその感覚を捉えることが大切です。
人によっては、全拒絶ではなく、
部分的に、こういう時に受け取れない、
という人もあるでしょう。
そういう傾向もよく注意して
捉えてみましょう。
自分は何を恐れているのか。
そこにはどんな痛みの記憶があるのか。
中には、その痛みによる怒りや悲しみなどを
支えに人生を生きている人もいるので、
その支えを手放して新たな人生を歩んでも
いいのかどうか。
実際のところ、痛みの記憶を癒すことは
それほど難しいことではないのですが、
しばしば戻ってしまう人がいるのは、
新たな生き方を受け入れていないという
ところが大きいのですね。
今まで被害者でいて、相手を恨んでいれば
自分を保てたけれど、被害者で居ることを
やめるとなったときに、
責任転嫁して逃れていたものを
引き受けなければならないとか、
それまで抱いていた世界観が根底から
覆されていくことへの恐怖や拒絶が
その人の中で起こるのですね。
痛みの記憶を癒してすんなりと新しい自分に
進んでいける人は、この部分がとてもシンブルで
するっと超えていける。
けれども、こじれる人はここで
結構しがみついてジタバタしますね。
両者の違いは何かというと、
こじれる人は、上っ面だけでなんとかしようと
もがいているのに対し、すんなり行く人は、
自分の内側で分離していた様々な側面を
自ら深く、しっかり抱きしめているような
気がします。
前者のケースでも、ある程度は
受け止めているのでそれなりに解放は
起こるのですが、さらにその先に進む段階になると、
明らかに自分の在り様がそこで出て来ますね。
その先に進みたければ、
今認識しているところよりもさらに広く、
深いところまで自分を開かないと
いけないのです。
というわけで、今週のテーマは、
愛し、愛されることに深く自分を開いていくよう最高最善に働きかける
参加される方は、
「無料遠隔ヒーリングの受け方」を
ご覧になり、 ご理解のうえ
2020年5月6日(水)17:00までに
メールまたはメールフォーム
にてお申し込み下さい。
同日20:00より順次働きかけを行っていきます。
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