ヒーリングの仕事をしていて、
色々なご相談、ご依頼を受けるのですが、
ご病気に関するお問い合わせも
結構あります。
「心の叫びは体の痛み」
「命と引き換えに自分の我を通す病」
の記事でも書かせていただいたように、
確かに心と体はつながっていて、
物理領域だけでは良くなっていかない
体の症状もあると思います。
体の不調に対して、
スピリチュアルな領域からアプローチ
してみようと思う方は、
多かれ少なかれ
自分の在り方を振り返ってみよう、
というお気持ちがある方だろうと思います。
今まで、様々なご病気をお持ちの方の
セッションもさせていただいたのですが、
基本、私は病気そのものを癒すよりも、
その人の在り方が本当に調和した状態に
なることの方に重点を置いて
セッションさせていただいています。
だから、セッション受けたら
病気が治りますか?とか聞かれることも
あるのですが、私の答えは
病気はあなたの不調和な在り方から
起こっているものなので、セッションでは
その在り方を軌道修正していきます。
それによって、心身ともに調和した
在り方になっていく可能性は高い
と思うけれど、必ず病が治るかどうかは
私にはわかりません。
とお答えしています。
病気や問題そのものが消えるかどうかよりも、
その人が心と体と魂がどれだけ調和した
在り方に帰ることができるかどうか、
ということの方が重要だと見てるんですね。
たとえ、命にかかわるような状況
であったとしても、まずは病状だけ先に
どうにか良くしてあげよう、
とかいう考え方は、私はしません。
そういうやり方で病気を治すヒーラーも
いると思いますが、それだと、いわゆる
「借金の前借り」なんですよね。
それで治ったからよかったよかったと
在り方も考え方も変わらないままだったら、
必ず再発します。
あるいは、ヒーラーがその人のカルマを
替わりに背負うやり方もありますが、
私は一切そういうの、やりません。
私の魂は、今生の他にもヒーラーとして
生きた人生がいくつかあったようで、
瞬間ヒーリングもできた人生の記憶も
あります。
でも、今はそれはできないので、
そういうやり方はしない、と
どこかで決めているのかもしれません。
もし今生、再びそれができるようになるときは、
代苦受けのような形ではなく、本当に瞬時に
その人の在り方を軌道修正させるような
技術を身に着けた時だろうと思います。
話はちょっとそれましたが、
だから、病気さえ治ればいいという
考えの方のご依頼は受けませんし、
お受けする前にはくれぐれも
以上の点をご了解いただいた上で、
それでも受けたいとおっしゃっていただける
方のみお受けしています。
変にご本人にも、ご家族にも
期待を持たせたくないですしね。
命の期限を切られた方とそのご家族が、
どれほど命をつなぐことに
わらをもすがるような思いで居るのか、
私も父をがんで亡くしているので
良く分かります。
でも、生き長らえればいいのではないのです。
いかに生き、どう在るか。
死のそのギリギリの瞬間まで、
向き合い、問うべきはそこなんです。
その死闘の中で、つかみ取ったものが
肉体が滅びてもなお、失われることのない
人生の成果としてあの世に持っていけます。
そして、それこそが、家族をはじめとした
子孫や先祖、そしてまた周囲の人たちへの
これ以上ないギフトになるのです。
闘うべきは、病気それ自体ではありません。
あなた自身が逃げ続けてきたもの、
そして、それに向き合えない自分の弱さと
闘うのです。
それに負けたら、その負債はあの世に持ち帰り、
次の人生に持ち越しです。
死ねばゼロになるわけじゃないですね。
人生の残り時間があとどれだけなのか、
意識するとせざるにかかわらず、
砂時計の砂が落ちるがごとく、
それは着実に減っていきます。
けれど、残り時間の多い少ないにかかわらず、
命の砂粒が落ちるその瞬間瞬間に、
あなたの在り方が刻まれるのです。
それは、あなた一人のものではありません。
あなたにつながる全ての人に、
あなたの生きざまが波紋のように広がって
様々な影響を与え、その人の中に
時を超え、場所を越えて刻まれていきます。
あなたという命は、そうやって
永遠にこの世界に生き続けていくのです。
だから、
肉体の有無にばかり執着するのではなく、
永遠に生き続ける命の本質にこそ、
目を向けましょう。
自分はこの世界に、何を刻むのか。
多くの人があなたの名前を知らなくても、
あなたの生きた証が、深く誰かの心に、
土地の記憶に残り、世界に貢献していく
喜びを知りましょう。
それが、永遠の命です。