今日は昨日の続きで、
体に表れた感情のメッセージについて、
お伝えしたいと思います。
昨日もちょっと書きましたけれど、
本当に体は心の代弁者です。
以前、私の友人が新しい職場に出社する前日、
急に足が痛くなって歩けなくなってしまった
ということがありました。
ご想像がつくかと思いますが、
友人はその職場に行くのが実はすごく
気が進まなくて、行きたくなくて
仕方なかったようです。
で、自分で不可抗力の「行けない理由」
を作り出してしまったわけですね。
このときは、その会社に行かないと
決めた(離職)ことで、順調に足も
回復したようです。
頭で就職しなくちゃ、と無理無理自分を
駆り立てて、心と体が頭の計画に
反乱を起こしたということですね。
また、ある人は職場のチームのメンバーに
ものすごく葛藤を抱えていたとき、
頑固な便秘になってしまいました。
その人はメンバーの仕事の進め方のせいで
とても負担のかかるパートを担当しており、
不満がたまっていたようです。
けれど、ちゃんと自分の意見を表現できず、
文字通り感情を「腹に溜めて」しまったことで
便秘になってしまいました。
私が聞いた時点で10日出てない
と言っていたので、相当苦しかっただろう
と思うのですが、
このときは、本心をイメージワークで
吐き出すワークをやってもらった途端に
トイレに駆け込んでいきました。
この二人の場合は、とても分かりやすいですね。
体のメッセージを読み解くには、
色々やり方はあるのですが、
自分が何を我慢しているかな~?
っていうことを見てみるのも
一つの方法です。
我慢することが当たり前になっていると
気付きにくいかもしれませんし、
そんな風に思っちゃいけない、
感じちゃいけないとか思っていたりすると
余計に気付きにくくなります。
人を悪く思っちゃいけない
とかいうのが代表例。
あなたにもありませんか?
こういう場合は第三者の目線からの方が
わかりやすくて、それとなく友人が
忠告していてくれたりするけれど、
本人が受け取れてないってケースも
ありがちですね。
そういうヒントを手掛かりに、
我慢していることを、抑圧するのではなく
適切に応答するように自分の在り方を
改めるのです。
便秘の人の例で言えば、
ちゃんと自分の状況を伝えて、
こうしてほしいってチームメイトに
話さなければいけなかったし、
本心に逆らって就職しようとした友人は、
もっと本心に耳を傾けて、見栄や体裁
ではなく、自分に優しい選択を
するべきだったのかもしれません。
もちろん、「適切に応答する」というのは
手当たり次第に八つ当たりをしろと
言っているわけではありませんし、
わがまま放題しろと言っているわけでも
ありません。
他人本位な在り方ではなく、
もっと自分を大事にする在り方が
できないだろうか?ってことです。
ほんの少し、勇気を出して
自分を守るために声を上げることだったり、
無理をしないで休むことだったり、
問答無用で自分に我慢をさせる前に
できることがあるのではないでしょうか?
慢性化しているものほど、
内面的な歪みも大きいです。
ガンのような重篤な病気も、
体の度重なるメッセージを無視し続けて
来た結果であるように私には感じられます。
実際、そういう病気に取り組んでいくと、
ものすごくたくさんの抑圧してきた
気持ちの数々、ごまかし、直面することを
逃げ続けてきたテーマがわんさか出て来ます。
どの時点で気づき、方向転換できるか
時間との闘い、という状況の方も
ありますね。
ご本人がどれだけ生きたいと願っているか、
また、人生の差し出している学びに
気付き、応答していこうと思っているか。
そこは大きいと思います。
もう自分はこのままでいい、
と思えばそこまでですから。
また、病気もそうですが、
事故などによる怪我にも
メッセージがあります。
これも怪我をした場所によって
色々あるのですが、体の不調と同じく
直前の気持ちや思いにフォーカスすると
気付くことがあるかもしれません。
いずれも出来事というのは
その時の自分の思いのバイブレーション
が一致した現象が起こってくるわけで、
自分を苛むような思いを持っていれば、
現象面でも、誰かが自分を苛んだり、
病気や事故で自分を罰するような
出来事を引き寄せるのです。
と言っても、様々なレベルの要素が
複雑に絡み合っているので、
単純にこれが原因、と言い切れるもの
ばかりではないのですが、
綾なされた糸の一つを辿っていくことで
その奥の複雑な因果のタペストリーが
見えてくることもあります。
心と体が調和していない時、
人生はうまくいきません。
どこかがうまくいっていないなら、
それは自分の在り方を深く顧みる
必要があるということを示しています。
意固地に自分の正義にしがみついていないか、
もっと違う見方ができないかどうか、
硬直した在り方を変えていかねばなりません。
命と引き換えに、自分の我を通すことの
ないように。
もっと幸せな生き方があるはずです。
ただ、それを選ぼうと思うかどうか。
よく考えてみてください。