先日、知人と色々話をしていて、
ちょっと思うところがあったので
書いておきます。
人は何かをしようと思うとき、
何かしらの目的があるのだけれど、
途中から目的と手段が入れ替わってしまう
ってこと、よくあると思います。
もちろん、
目的のない行動もありますけどね、
ここでは何かしらの目的がある場合を
取り上げます。
代表的なのが、幸せになるために
お金を稼ぐというやつで、
家族を幸せにしたいと思って
一生懸命働いているにもかかわらず、
いつの間にか家族そっちのけで
仕事にのめりこんで
家族がバラバラになっている
とかいうパターンがこれですね。
そもそも自分は何のためにそれをしよう
と思ったんだっけ?ってところ。
それから、
もう一つ取り上げておきたいのが、
「主体の意識」というテーマ。
つまり、自分は自身がどう生きるのかを
選択している主体であるという、
言い換えれば当事者意識。
色々な方にお会いしますけれど、
自分を見失って、人生の迷子になっている人って、
この2点がうまくいってない人が多いかも
しれないな~と思います。
つまり、
自分の人生なのに自分でそれを選んでいる
という意識がなく、
誰かがそう言ったからとか、
自分は望んでないけど仕方なくそうしているとか、
どこか被害者的な意識があったり責任転嫁したりして、
自身の人生の当事者になっていない。
意識、無意識的に他者の意見を求めていて、
誰かに「あなたはこうすべきだ」って
決めてほしいのですね。
その一方で、そうやってアドバイスに
従うことを「自分で選んで」いながら、
それが「自分の選択だ」という意識が薄く、
うまくいかないと後悔したり、
(↑これは内側に不満が向かうケース)
アドバイスした人を責めたりする
(↑こっちは外側に向かうケース)。
自分が人生の主体になっていないが故に、
自分が何をしようとしているのか目的が
定まっておらず、漠然とふらふらして
自分のやっていることがよく分かっていない。
というのがあるかなと思うのです。
アドバイスって、結局は主体があってこそ
生きてくるもので、主体がなければ、
盲信してマインドコントロールみたいに
なりかねないですし、
常態化すれば自分の軸のない
不健全な依存にもなります。
よく、セラピーやヒーリングを受けることが
依存にならないかと心配される方も
あるのですが、
それは受ける方がどれだけ主体意識を
持っているか、ってところが、
セッションを活かせるかどうかに
かかってるんじゃないでしょうか。
深く傷ついてたり混乱しているときは
なかなか難しいかもしれませんが、
長くお付き合いできる信頼できる
ヒーラーやセラピストと出会いたい
と思うならば、
セッションが、自分の主体意識をしっかりと
持つ方向に役立っているかどうかを
注意深く観察してみたらいいと思います。
そのくらい、全部お任せ、じゃなくて、
セッション自体を評価する眼差しを持って
臨んでみてもいいのではないでしょうか。
というか、私はそうあるべきだと
思ってますけどね。
その時の自分ではうまく受け取れないものも
あるかもしれないし、相性もあるでしょう。
そうしたら、主体意識をもって、
また選択し直せばいいのです。
こういう主体意識を持つには、
一朝一夕には無理でしょう。
絶え間なく自分と対話し続ける土台があって
初めてできることです。
自分と対話して、自分で決めて、
結果を見て、引き受けて、そしてまた
選択する。
自分で決めることを避ける人は、
自分の選択の結果を引き受けてないから
失敗からも学べず、失敗したくないとか言って
自分では何も決められなくなってしまうのです。
故に、自身の選択の結果を引き受けることは
自立した主体意識には不可欠の要素です。
うまくいけば、自信と自己効力感を深めますし、
うまくいかなければ、後悔ではなく、
その失敗を見つめることで、原因を突き止め、
軌道修正できるでしょう。
失敗したくない人は、己の失敗を見つめることが
できません。成長のカギはそこにあるのに、
その宝のカギを拾えないのですね。
それからもう一点。
もらったアドバイスが自分の進みたい方向とは
逆のことを言われたとき。
単に反発したり、信頼できる人が言うのだから
そうなのだろうと訳も分からず従うのではなく、
何故にそう言われたのか、注意深く
考えてみることです。
その人には自分の何が見えていたのか。
そこに意識を向けることで、
ものすごく深い気づきと成長の可能性が
開けていきます。
頭で、そうなのかとか、やっかみだろうとかで
片づけるのではなく。
アドバイスというのは、そのくらいの意識で
受けると、その意義がものすごく大きく
生きてくるものです。
ちょっとわからないからと、気軽に受ける
アドバイスもあるでしょうけれど、
主体意識のない人の際限ない質問は、
エネルギーバンパイアの感覚に
非常に近いんですよね。
私自身も、自戒を込めて
精進していこうと思います。