昨日は久しぶりに、ガネーシャギリ先生の
ところのヨガでした。
と言っても、緊急事態宣言下で外出自粛要請
発動中ですからもちろん、遠隔セッションです。
Skypeでのセッションだったのですが、
画面でどこまで映るか心配だったものの、
やってみると先生もしっかり見てくださって、
受けてよかったです。
やっぱりヨガやると、それほど体を
使っていないようでいて、ちゃんと
調整されるみたいで体がすっきりします。
先生のクラスに興味はあるけれど、
時間が合わないとか遠方の方など、
この機会に検討されてみるのも
いいんじゃないでしょうか。
いつも全体クラスでの参加でしたので、
個人セッションは初めて。
やっぱり個人だと、密度が違うのは
ヨガも一緒ですね~。
昨日は満月ということで、基本的には
ヨガはやらない方がいいらしいのですが、
差支えのない技法をチェックして
いただきました。
全体を通して、上半身に比べて
下半身が圧倒的に使えていないということを
指摘されたのですが、これは自覚のある
ところなので、今後の課題です。
結構歩いたりとか、靴も履いていると
ゆらゆら揺れる靴(MBT)を履いているのですが、
なかなか強化されないですね~。
下部のヴァーユをコントロールする
呼吸法を日課に加えて、しばらく
続けてみようと思います。
下半身の使い方がなんだかうまくこなれない
という感覚はずいぶん前からあって、
色々な技法も試してみたのですが、
いまだにしっくりくるものに
出会えてないですね。
下半身を使えないことで、
バストリカ(ふいごの呼吸法)も
うまくできないですし、
座ってやる技法でも結構下半身の
微妙なコントロールを必要とするものって
あるんですよね。
先生に指摘を受けながら、不器用な足腰に
意識を向けていたときに、瞬間的に
あるビジョンが浮かんできました。
腰から下を土に埋められたか何かして
拘束された男性のビジョン。
う~ん、こういうのも関連あるかもね、
なんて思いながら、クラスはそのまま
進んでいったのですが、
以前、感情解放のセッションで
纏足をした女性の過去世の人生が出てきた
人がいました。
その方は、今世でもものすごく
グラウンディングが弱くて、
股関節に不自由を抱えていらっしゃる
方でした。
纏足は昔の中国の女性に施されていた
習慣で、幼児期よりきつく足を縛り、
大きくならないように変形させることで、
大人になっても10cm程度の小さな足
を作るというもの。
Wikipediaにも写真が載ってますが、
今見るとグロテスクですね~。
昔はセクシャリティの象徴だったとか。
まぁ、こんな足ではグラウンディングなんて
できようはずもありません。
セッションの中で色々解放していく中で、
その方は大地のエネルギーを自分に
取り戻していかれたのですが、
足って、やっぱり大地とつながるには
大切な部分だと思います。
で、私に見えた下半身を拘束された男性の
ビジョンをクラスの終了後にちょっと
ワークしてみました。
なんで土の中に半分埋まっているんだろう?
と思って見ていくと、どうやら底なし沼
のようなところにはまって、身動きが
取れなくなっているようでした。
なぜそうなったのか?時間をさかのぼって
男性の意識を辿ってみると、
ちょっとした好奇心と、欲に駆られて
危険なその地に足を踏み入れてしまった
ようでした。
その地に住まう何かの存在と、
何らかの取引をしたようでした。
今生も、この男性の足の動かない
感覚を引きずっているということは、
今この瞬間にもこの取引が生きている、
つまり私がこれにより何らかの
メリットを得ているということなので、
ここを手放さないと、契約解除に
なりません。
さて。私はいったい、何を得たのか。
なかなか出てこなかったのですが、
多分、この身と引き換えに、
復讐をしたのですね。
怒りと、憎しみと、悲しみの入り混じって
固くなった感情の気配が感じ取れました。
自分の中の、固く閉ざしたその封印を
ゆっくりと解き、湧き出てくる感情を
自身の体と心に歓迎しました。
すると、下半身からマグマのような
口惜しさと怒りのエネルギーが
段階的に噴き出してきました。
よく、悔しいときに地団太を踏む
と言いますが、まさにこのエネルギーは
足から肚、体の中心を通って
頭に抜けていきました。
悔しがること、怒ることを
切り離していたんでしょうね。
だから下半身に力が入らなかったのだけれど、
切り離したものを繋げたら、大分
下半身に力が戻ってきたような気がします。
自分で自分の怒りと悔しさ、悲しみなどを
引き受けられるようになったので、
契約も解除してビジョンの中の男性は
泥沼から抜け出したようです。
その存在の力を借りなくても、
自分でケリをつけられることに
気づいたんですね。
まだこのストーリーには
統合するべきポイントが残っている
ようではあるので、おいおい
見ていくことにします。
今日のヨガでは、思わぬ収穫を
得たようです。