いよいよ4月入り。
首都圏も都市封鎖が秒読みか?
と囁かれていますが、
海外の情勢を見れば、
時間の問題だろうと思えます。
人々の認識にもかなりの温度差が
感じられますが、
サロンのご予約も、これ以降は
遠隔セッションのみの受付とさせて
いただこうと思います。
既に対面で承っているセッションも、
追ってご相談させていただきますので
どうぞよろしくお願いいたします。
こういう時期は、特に自分自身の深奥に
グっと根を張っていないと、
流されて右往左往してしまいがちです。
最近セッションさせていただいて感じるのは、
自分自身に戻ってきてしっかり中心に
つながっていく人と、そうでない人の差が
とても激しいということです。
どれだけ働きかけをしても、
私から見て、芯がしっかりはまらない感じで
あまり響かない、通って行かない感じのまま
終わってしまう人もいれば、
フォーカスするポイントを示し、誘導すると
しっかりそこについてきてくださって
働きかけがす~っと通り、最終的に
いい感じで自身の中心に収まる方もあります。
正直、100%うまくいくセッションばかり
ではないのは私も自分の未熟さを痛感する
ところではあるのですが、
同じようにやっていても、
(と言ってもちゃんとその方に合わせて
状況を見ながらさせていただいてますよ)
ものすごく差が激しいんですね。
相性の問題もあるのでしょうけれど、
あまり中間がなくて、
クリーンヒットするか、
箸にも棒にもかからないか、
どっちか、という感じです。
ここまで結果が違うのはなぜなんだろう?
と色々考えてみてはいるのですが、
考えられるのは、まず主体の意識を
しっかり持っているかどうか、
というポイントがあります。
つまり、根底に自分の人生を自分で
責任を持って生きていこうという
意思があるかどうか。
セッションを受けようとする方は、
現実の自身の状況を何とか良くしたい
と思って申し込みされると思うのですが、
それがすべて、自分の人生の責任を
本当に引き受けて行こうという決意とイコール、
というわけではないんですよね。
セッションの中では具体的に
ここを問いかけるアプローチを
繰り返しして行きますが、
その手前でつるつる意識が定まらない人も
多いです。
一方、主体の意識は持っているのに
自分の中心にはまらない人もいて、
前者に比べるとこちらは少数ですが、
この場合はご本人の選択ですね。
魂の導きよりも、自身の頭でがっちり
作り上げた信念を優先させる選択を
しているとかも、このケースに入ります。
その他、レアケースもありますが、
これは割愛します。
結論から言うと、圧倒的に多いのは、
主体がどこかに行ってしまっていて
「自分がお留守」のケースかな、と思います。
何かしら、人生がうまくいかなかったり
辛かったりしてどうにかしたいのだけれど、
でもその在り方を根底からどうにかしよう
とまでは覚悟は決まらない。
家で例えるなら、
ちょっと壁紙変えたり家具の配置を変えるだけで
どうにかなると思っていたけれど、
診断を受けたら、実は基礎が腐っていたり
地盤沈下を起こしていて直さなくちゃいけない、
でもどうしていくかを決定する主人が不在で
何も決められない、という状態に近いかと。
セッションでは、その人の在り方の根底を
チェックするということはするようにしています。
つまり、その人がどれだけ自分自身の中心に
触れているか、つながっているか、というところ。
触れてない、明後日の方向を見ている、
厚い壁がある、意識がさまよっているなど
色々に読み取れるのですが、
基礎工事が必要だからと言って、
いきなり大々的な工事には取り掛かれないので、
今のその人が取り組めるところ、受け止められる
ところを探りながら、掘り下げていきます。
でも、それがどうしても見つけられない人
もいるんですよね。
ここもダメ、こっちからやってもダメ、
じゃぁこっちは?これもダメ、って感じで
どこも糸口にならないケースが
残念ながらあります。
自分の中心につながるには、
人生が差し出しているものを概念ではなく、
触れて生きなければいけないのですが、
それを拒否されると、誘導に歯車がかみ合わなくて
ずっと空回りの状態になるからなんですね。
ここには、自分の中に入り込んでいる
別の存在も絡んでくるところですが、
結局は自分が自身の人生から逃げている
=自分がお留守になっているがゆえの現象です。
主人がお留守でも、ご帰宅いただければ
どうにかなるのですが、最後まで
代理人、あるいは居候の存在がのらりくらり
主人は不在ですゆえ。。。と
お茶を濁して時間いっぱい逃げ切る
というパターンがあるのですよねぇ。
これもまた自分の鏡と思い、
私自身もそういうところがまだどこかに
ないだろうか?と振り返りつつ、
精進を重ねて参ります。