【ヒーリングテーマ】
情報を自分なりに咀嚼して、自身と対話しながら状況に適切に応答するよう最高最善に働きかける
3月11日実施
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咀嚼というプロセスを疎かにしていたことを再認識しました。
なぜここを大切にしていないのかをチェックすると、
責任を外に押し付けようとしている自身の姿勢が見られました。
情報の選択、評価、吟味、という過程を省いてしまうのは、
結果に対して責任を取ろうとする意識が希薄だからだと思います。
そこには被害者的な感情や、自分を卑下した眼差しが絡みついていました。
今一度、全てを自分の責任として引き受けると決意して、
リラックスして課題に取り組んでいこうと思いました。
ありがとうございました。
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コロナの影響でひたすら家で休園中の子どもと過ごす日々。
関連の情報があれば、気になって意識が追ってしまっていました。
気持ちを切り替えようとして逆に別のことに向かっては、没頭しかかって中断されて苛立つ。そんな繰り返しで、この1週間はやたらとイライラしていた気がします。
反省してみれば、体感的にはずっと近視眼的、内向的で、呼吸の浅い感じがありました。
花粉症の不快感、ほぼプチ引きこもり、人との関わりの少なさ、コロナへの不安感や、スマホをチェックしたりなど、このところの生活が狭く小さく細かい方向だったなと思います。
朝か晩か夕方に少し散歩に出ると、意識も視界も広がって、ホッと息がつけました。
このところ、自分の立ち位置や、向かっているところを見失いかけていて。思いの外、何かに依存していたのではないだろうか、と問うたり。自分がグラグラしてるのを、息を潜めて、バランスするポイントを掴もうとしてるかのような感じがありました。
一方で、逆にそのせいで周りが見えづらくなって、自分を難しくしていたのではないかとも思います。
私はつい極端に走りがちなので、あらためて。情報や状況に対して、意識が縮こまる方向ばかりでなく、周囲と関わりや広がりを感じながら応答できる方向に、もっと感覚を使って過ごしたいと思いました。
今回もありがとうございました。
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ここしばらく、恐ろしいほどの焦燥感があり、でも、気のせいかな、仕事のストレスかな?と、思っていました。
様々な事がある中で、相手かあるときの応対をいつも悩んでいました。
こちらがどんなに心を砕いて接しても結局伝わらないでがっかりする事が多いからです。
今回もこの短い間にスタッフが半分入れ替わると言う、驚くべき事が起こりました。でも、ハッキリしたメッセージが来ました。
『自分が変わらなければ環境も変わらない』
と、スッキリ言われ、ああ、私のせいではなく、離れていく相手の学びに今、付き合っているんだなと、解りました。いつもなら、あれこれグダグダ悩みに悩んでダメダメになるところ、今回はスッキリとしました。
ありがとうございました<(_ _)>
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今までずっと、自分の感覚で生きてきました。
学生時代、女子グループの締め付けーーー休み時間のトイレ同行やらおしゃべりーーーを受け入れないことで陰口されました。
あの教訓が、情報を鵜呑みしない私にしました。
田舎で暮らすと、噂話に踊らされ勝ちな昨今。
目立たぬように自分の内なる声をシッカリ聞き取りながら進で行く所存です。
ありがとうございましたm(__)m
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その通りのことになりました。
咀嚼して、解釈して、パッと出すタイミングが
適切になったことに後で氣づく・・・
ということになっていました。
ありがとうございました。
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先週ある事について、理屈や思考の結果ではなく、突然身体の奥の方?からエネルギーが沸き上がって来て、直感&感覚的に、「こうした方がいい!」と強く感じた事がありました。
が、家族から、「まあまあもう少し冷静に…そんなに焦らなくてもいいんじゃないの」と言われ、「そうかな、そう言われてみればちょっと衝動的かもしれないな、もう少し様子を見てからにしよう」と思い直し行動をとどまったのですが、結果としては、強い思いが湧いて来た時にアクションを起こしていた方が正解でした。
もちろん、そういう結果になったのは結局自己責任で、その事で家族を責めたりする事はありませんでしたが…(笑)
今回の出来事で学んだのは、やはり周りの意見等に影響されずに、自分自身の感覚を信じて、自分のアンテナや閃きなどに従い行動した方が、自分にとっては正しい結果になりやすいし、万が一それが正しいと思った結果にならなくとも、自分で選んだのであれば納得出来るという事です。
振り返ってみればこれまでも、何度か同じような場面があったかも知れません。
また正しい判断をするためには、日頃からしっかりとグラウンディング出来るようにしたり、自分自身をクリアにしたり磨いたりしておく必要も感じた次第です。
現在コロナ騒動で、様々な人たちが様々な意見を言ったりしたり、本当に、様々な現象が起こっており、世界中がるつぼの中にある様な状態ですが、それらに惑わされる生き方は御免だな、と。
昔の職場で、よく「去年のデータだと…」と、データや数字で今後の対策を決めたがる上司がいたのですが、そう言えば当時から自分は、「現実は、データ通りには行かないよ!」と。上司のそういう考え方に、内心結構反発心を持っていた事に気が付きました。
政治やお役所仕事などの世界でも、「データによれば…(しかも、そのデータには信憑性がない(笑))」という考え方がスタンダードの様ですが、やはり、そういうやり方に対して、強い違和感を感じます。
特に現在のような、様々な枠組みが粉々に崩れ再構築されて行く途上という状況では、データや過去の事実というものは、ほとんど役に立たず、むしろ新たなものを生むのに邪魔にさえなる事があるのでは?と、個人的には感じています。
今回も、貴重なきっかけを頂き有難うございました。