なんだか最近、いろいろな場面で
「力」に対する憧憬、渇望、嫉妬といった
人々の感情が視界に入ってきます。
ここでいう「力」というのは、
たとえばお金、権力、抜きんでた才能、
ギフトなどを指しますが、
「力」に対してこういう感情を持っている人は
多分例外なく自分自身に対して、
無力感や無価値感を持っている
だろうと思います。
ただ、そういう感情自体が悪い
というつもりは毛頭なく、
それを昇華させて素晴らしい力を
自身の内から引き出していく人もいるので、
要はその無力感、無価値観に
どう向き合っているか、
ということなんだと思います。
それらを昇華できずに飲み込まれ、
あきらめてしまった人は、
自分自身の「力」を汲み上げることが
できないので、不完全燃焼の状態で
くすぶってしまいます。
そのストレスから他者に嫉妬して
攻撃的になったり、変に被害者意識に浸って
やたらと人を恨んだり、
あるいは、外側の「力」を自分に
ごてごて貼り付けることで
無力感や無価値感を紛らわせることに
忙しかったり。。。
実にもったいないというか、大事なところを
おろそかにしているような気がして
残念だな~と思えてしまいます。
なぜかというと、その人の中には
すでに十分な「力」があるのに、
本人が自分自身と断絶しているがゆえに、
その力につながれていないので、
自分には無いのに、あいつにはある
と見えていたり、
自分の性質にはそもそもそぐわないものを
求めたりしているように見えるからです。
本当に自分を豊かに、幸せにする力は、
誰かを模倣することでは得られないし、
インスタントに外部から移植することも
できません。
どんなに傷つき、何度挫折しても
自分を見捨てず、対話し続けることで
その「力」につながり、深く掘り下げ
育んでいくものだと思うのですが、
自分に無力感や無価値観を感じている人は、
往々にして自分を見捨て、自分とのつながりを
放棄してしまっています。
その人なりの背景や事情もあるのでしょうが、
そこで自分をあきらめてしまったら、
この人生を生きる力から切り離されてしまう
と私は思うので、
私のセッションでは、
自分自身と和解することが
外せない基盤になっています。
実際、自分と和解し、絆を取り戻して
行っているクライアントさんが
みるみるパワフルになっていかれているのを
間近で拝見させていただいて、
やっぱりインプラントじゃ
この迫力とパワーは出ないよね!
って思うのです。
なんでもそのクライアントさん、
最近とてもパワフルになられたのを
ご友人も驚かれていたそうなのです。
端から見てわかるくらいの変化って、
すごいですよね。
自分自身と和解しないまま
力を得るのはひどくバランスが悪くて
ある意味とても危険なので、
絶対に私はお勧めしません。
力を得る過程で魔が入りやすいし、
力を支える「土台」が弱いので、
容易に力に飲み込まれていくからです。
自分とちゃんと対話できている人は、
そもそもそういう力の求め方は
しないのですが、
バランスの悪い、自分に見合わない
力を求めるのは往々にして
対話できてない人なんですよね。
そういう人は、自分の無力感や無価値感を
力で埋めようとする動機から、
どんなに忠告しても駆り立てられるようにして
魔の力に吸い寄せられていきます。
あなたは大丈夫ですか?
力を支える土台というのは、
自分自身を慈しみ、大切にすること、
自分自身とちゃんと対話すること、
自分の人生を地に足つけて生きていること、
自分の恐れや不安など、ネガティブな感情も
しっかり受け止められること、
などが挙げられるでしょうか。
こういう土台ができてこそ
力が生きてくるんですね。
力はツールです。
ツールを使いこなせる主体であるように。
決して、ツールに使われる下僕
であってはなりません。
こういうことがバランスよくできている人は、
小さな(と思える)力を、大きく使う
ことができます。
奢らないように気を付けているから
傲慢にならないのではなく、
それが当たり前で奢る必要すらないから
自然体で謙虚なのです。
土台ができれば、力は徳とともに、
自然についてきます。
魔の力に身を滅ぼすことなかれ。
徳ある力で生かすべし。
あなたの中の力が徳とともに花開き、
世を照らす光とならんことを。