先日、ガネーシャ・ギリ先生のところの
ヨガのクラスに行ってきました。
いつもご一緒している方の他に、
飛び入り参加の方もいらして
なかなか楽しかったです。
先生のクラスは、お互いにアーサナを観察して
問題点を指摘し、アドバイスし合うのが特徴
なのですが、これがまたいい勉強になります。
もっとこうすると良くなる、
というのを伝えるためには、
どこをどうすればもっと良くなるのか、
という筋道がわかっていないと
アドバイスできないですよね。
ただ観察して、こうなってますよ、
と指摘するだけで済むこともあれば、
身体の中で本来使うべきでないところを
使っているからスムーズに動かせないとか、
余分な力が入っているのだとかいうところまで
見て取れないと、伝えられないアドバイス
もあります。
伝えられた方も、そう言うことがわかれば、
じゃぁどこを使えばいいのかとか、
余分な力を抜くにはどうしたら良いのかなど、
自分で工夫していくことができるので、
なかなか自分では気づかないところを
見てもらえるのは、貴重な機会ですね。
こういう視点と言うのはセッションにも
大いに共通しているところで、
こうなってますよ、というのがわかる
だけではまだ入り口で、
じゃぁどうしてどうなっているのか?
と問うところからがスタートです。
たとえば、どうしてこの方は呼吸が
こんなにも浅くなっているんだろうか?
こんなにも表情が固く、こわばっているのは
何故なのか?
明らかに感じているはずの怒りを
認められないのはなぜなんだろう?
などなど、私はその方のその状態の
一つ一つを読み取りながら、常に
それはどこから来ているのか?
と問いつつセッションを組み立てています。
すごく緊張しているのだ、
ということがわかれば、
何に緊張しているのか?
その緊張の奥には、どんな恐れのイメージが
あるのか?
その恐れは、どこから来ているのか?
(原体験)
どんな感情が受け止められず、
未完了になっているのか?
と核心を掘り下げていきます。
感情解放ワークに取り組んでいる方に
しばしば言われるのが、
どうやって掘り下げていったらいいのか
わからずに戸惑ってしまうということです。
掘り下げていくには、
自分が何を知る必要があるのかが
わかっていなければなりません。
それを知るために、問うわけですね。
何となく問うていたのでは、
掘り下げの道筋自体が迷子になってしまいます。
目的を持って問うこと。
これが必須です。
ワークで知るべきなのは、常に
その人は本当は何を恐れ、
避けようとしているのか?
という一点です。
これを念頭に、
たとえば嘘をついた人がいたとして、
この人のその行動の動機を掘り下げてみます。
なぜ嘘をついたのか?
嘘をついたのは、何か避けたい状況があって、
そうならないようにしたためでしょう。
であるならば、もし嘘をつかなかったら
どんな状況になっていたとその人は
思ったのだろうか?というのが
知るべきことです。
嘘をつかなかったら、
大切な人に嫌われてしまう、
親に怒られる、
自分の失敗がバレてしまって
信用を失う、などなど。
ここまでわかったら、
感情解放ワークですから、
その時受け止めきれずに未完了になっている
「感情」にフォーカスします。
大切な人に嫌われたとき、
親に怒られたとき、
信用を失ったとき、
どんな気持ちになるのか。
これが核心の感情であり、
これを何としても感じたくないがゆえに、
そのような行動をしなければ
いけなかったのです。
こんな風に掘り下げていきますが、
知るべきことがわかっていれば、
迷うことなくシンプルに核心まで
掘り下げることができるでしょう。
こういう質問力というのは、ワークだけでなく、
色々な場面で道を開く力になります。
たとえば、できないというのなら
なぜできないのか?
何がネックになっているのか?
それをクリアする方法がないのか?
何があれば、あるいはなければ前に進めるのか?
全く違ったアプローチは可能か?
そもそも、それはどうしてもやらなければ
いけないものなのか?などなど。
問うことで、私たちは解を探そうとします。
問わなければ、そうなんだ、で終わりです。
何だか良くわからないけれど、
そういうものなんだと納得させて
そこに甘んじるしかありません。
自分の中に違和感、腑に落ちない感じが
あるのなら、どれがどこからくるのか、
問うてみるべきです。
そして、得られた答えを実践し、
フィードバックを受け取る。
そしてまたそれをもとに
さらに問う。
人でもものでも、こういうやり取りが
対話なわけです。
問う力を身につけることは、
漫然と受け身で生きるのではなく、
自分の人生を主体的に生きる姿勢にも
繋がっていきます。
深く深く問いながら、
自分の人生を切り拓いていきましょう!