そわか数珠のそわかさん、昨日から
天竺菩提樹のお数珠のセールやってるみたいです。
なんと今日までだそうなので、前から天竺菩提樹
欲しかったんだけど、、、という方はぜひこの機会に!
さて。
今日は自分自身の覚え書きみたいな
呟きです。
先日、毎月お参りに行っている縁の神社に
参拝に行ってきました。
都心のオフィス街にあるそのお宮は、
平日の昼間にもかかわらず
ひっきりなしに参拝者が訪れているので、
拝殿前ではささっと手を合わせてご挨拶し、
社務所横の池の前にしばし佇み、
ご祭神にじっと心を合わせてみました。
実はその前日、何のきっかけがあった
わけでもないのですが、たまに湧き上がってくる
神への奉仕に対する絶望感、虚しさ、やるせなさ
という、私にとっては馴染み深い感情の数々が
浮上していました。
結構取り組んできて大分薄くはなっている
のですが、なかなか消えないですねぇ。
まぁそれはさておき、この思いがあるから、
私は神への奉仕とか使命とか、そう言うのからは
一歩引いたスタンスでいます。
もう、どこかの人生でやったように、
自分の命のすべてをかけて、
使命に生きるようなことはできないな
と思ってしまうのです。
あんなに激しく生き、燃え尽きるのではなく、
淡々と、今自分のやるべきことを
丁寧にやっていくことで、多くの人
に対してではなく、目の前の人に対して、
真摯に自分が伝えられることを伝える。
そんな生き方が自分には丁度いいだろう、
と今は思っています。
神さまは大事に思っているけれど、
そういう意味では、微妙な距離感が
あるかもしれません。
そんなことがあって、その神社のご祭神に
その思いも正直に打ち明け、お預けしました。
そうして、じっと神さまに心を合わせて
神前に立つ自分自身を感じていました。
そうしていると、
この神は私に無理なことを使命だ何だと言って
強いてくるだろうか?という問いが
浮かんできました。
私の答えは、否。
かつて、別の人生で神の名の下に
自分を殺してまで激しい行動をしたのは、
自分のエゴだったのだろうか?
神は本当にそれを望んでいたのだろうか?
当時、そういう生き方を選んだのも、
召命の確信があったし、自分の意志で
私はそれに応えた。
けれど、その末路は本当に辛いものだった。
そんなストーリーを辿りながら、
今でもその痛みが自分の中で生きているのを
感じています。
かつてのように、神を怨む気持ちは
多分もうない、あるいは強くはないのだけれど、
ただ、心が痛い。
その痛みを、お預けしてきました。
神はただ、こんな風に心を合わせて
静かに通い合うことを、
望んでいただけではなかっただろうか。
そんなことを思いながら。
お役目、使命、ミッションなどなど、
スピリチュアル業界ではよく聞く言葉
だけれど、正直私はあまり興味ない。
その言葉の中に、しばしば
ぶかぶかとした虚栄心や
肥大したエゴの気配を感じるから
というのもあるけれど、
確かに大きな使命を担うことは、
そこに自分を超えた大きな力が
集まって来ます。
本当に真摯にそうしたお役目を受けて
活動されている方もいるけれど、
私には、分不相応なことだと思っています。
そういう、大きなエネルギーを引き受けられる
ような器は、私にはありません。
そういう意味で、しみじみ
自分は小者よなぁ、と思うわけです。
大願は立てられない。
けれど、自分が役に立つことが
あるならば、できることはやって行こう。
その程度のものです。
無理に無理を重ねて
突き抜けていく生き方もあるけれど、
今生では無理しないで
自分の感じることに正直に、
わかること、理解できることを大切にして
深めて行こうと思うのです。
スピリチュアル業界に10年いても、
わからんことは山ほどあるし、
別に知りたくも関わりたくもないことも
たくさんあります。
まぁこんなスタンスでも、
有り難いことに深めていくべき世界は
限りなく、退屈することはありません。
振り返ってみれば、私はいつも
自分に無理を強いながら生きてきたな~
という気がします。
この世界と言うのは、こんなにも
無理をしないと生きていけないものなんだろうか。
もっと楽に、温かな心を寄せられるものに
心を寄せ、リラックスして生きていくことは
許されないんだろうか?
とふと思いました。
ずっとずっと、
誰かや何かに駆り立てられながら、
心を亡くして必死で生きてきたこれまでを
振り返って、
もうそういう生き方をやめてもいいかな、
という思いが湧いてきました。
なんだかそれまでは、
そんな風に生きなくちゃいけない
気がしていたんですね。
これからは、誰に何と言われようと、
私は私が大切に思うこと、感じることを
土台にして、自分のペースで生きよう。
アセンションに乗り遅れたっていいさ。
ゲートが閉まる?それならそれで結構だ。
無理に駆け込んだって、きっと
ついていけないだろうしね。
あのお社にお参りすると、
毎度色々気づきをいただきます。
ありがたや。また来月も行こうっと。