自分の望みを表現する責任

最近、うちの母とのやり取りで
ちょっとイラっとた出来事について
思ったことを書いてみます。

(母よ、またネタにしてしまってすまん!笑)

母は何かを決める時、「ねぇ、これどうしようか?」
とよく私に聞いてきます。

で、私が自分なりの意見を言って、
それが自分の思うところと違って気に食わないと

「でもね、そういうもんじゃないのよ」
とか言いつつ、最終的には母が渋々折れる
ということが結構あります。

私は別に自分の意見を言っただけなので、
嫌なら母が思うようにすればいいと
思っているのですが、

母は渋々自分の意見を曲げて、しかも
その後に「あんたがそう言ったから」と
言ってくるのです。

「じゃぁ好きにすれば」とか、
「だったら最初から聞くなよ」って
いつも思うのですが、

その決定は私のものではない。
娘が言ったことなんだから、失敗しても
私のせいじゃないっていう言質を取るために
そういうのかと思うくらいに
自分の考えで決める、ということを
しようとしません。

日常の食べるものを決めるときから
家の行事を計画するときに会場やら
メンバーを決めるということに至るまで、
まさに一事が万事という感じです。

人が決めたことをそれでいい、と
丸呑みするような態度をしばしばとります。

まるで主体性がない。というか、
そういう観念すらないのかと思うほどに
自分で決められないのです。

そういう母が良く言う口癖は、
何か周りから言われないように、
ということです。

つまり、周囲に悪く言われないようにすることが
自分の行動指針になっているのですね。

この家に嫁に来て以来、あるいは
もっと前から、ずっとそういう指針で
生きてきたんでしょう。

だから、自分がどう感じるかなんて
二の次三の次。

自分の感じたことを優先した結果、
周囲から何か嫌なことを言われた経験が
たくさんあるのでしょう。

でもね。って思うのです。

いくらそうやって気を遣って行動したって、
言う人は好き放題に言いますからね。

言いたければ言わせておけばっていう考えは、
母にはあまりないようなのです。

土地柄、立場上というのも勿論あるでしょうが、
時代的背景も大きいのかな、とも思います。
(ちなみに母は今年古希を迎えます)

そういう基準で自分の感情や感覚を極端に
抑圧してきた結果、自分が何を望んでいて
何を望んでいないのかを知る感覚が、
かなり麻痺してしまっているように見えて
私にして見ればとてももどかしく感じます。

私は感情解放ワークの世界観で
日々生きていることもあり、
何かを決めるときには必ず自分自身の感覚に
心を澄ませて聞いてみる、ということをします。

はっきり答えが来るときもあれば、
あまりよくわからないときもありますが、
それでも自分に聞かないで何かを決める
ということは、ありえないくらいの感覚
ではいます。

自分が何を望んでいて何を望んでいないのか、
それを知らずしてどうして自分の人生を
紡いでいくことができるでしょうか。

そういう識別をしないで何でもかんでも
自分に放り込んでいったら、自分の人生が
ゴミ溜めのようになってしまいそうです。

自分の欲しいものは欲しいと意志表示を
すべきだと思うし、欲しくないものは
欲しくないと明確に表明すべきだと思うのです。

そう言うことをしてしまったら、
人から嫌われてしまうとか恐れている人は
結構いるようですが、

自分の好きじゃないものに対応する
時間とエネルギーのロスを考えるなら、
自分に我慢をさせてまでそんな関係性を
抱えている必要があるでしょうか。

もっと自分を心地よく幸せにするために
効率よくエネルギーを使った方が
いいのではないでしょうか。

そういうところを曖昧にして
嫌な思いをしたうえに、
それも人生の勉強、学びだから
とか言う人も見かけるのですが、
何を学びととるかですよね。

自分の望みに耳を傾け、それに向って
適切な行動をとれる自分になるという
学びだってあるのです。

自分に理不尽な我慢をさせ、
溜めに溜め込んだ挙句、

相手がわかってくれない!と
ある日突然キレる、って言う行動を
取る方が、相手にとっては理不尽
というものではないでしょうか。

自分の望みを表現する責任を放棄して、
相手にそれをやってよ、と丸投げする方が
よほど自分に対して無責任だと
私は思います。

自分の望みを表現するには
自分と対話することが不可欠であり、
それができない人は、しばしば
自分との対話を疎かにしている
印象があります。

だから人任せで軸がない。
依存的で、責任転嫁の癖がある。

自分で自分の人生の責任を取る
気概もなければ、肚の力もないのです。

ちょっときつい言い方になりますけれど、
自分自身と対話できないというのは
そういう構造的に致命的な在り方に
繋がっていくので、

そんな人間にはなりたくないと思うのなら、
自分との対話は必須ですね。

ちなみに、毎回くぎを刺しますが、
頭で考えるのは対話になりません。
必ず感じたところから対話すること。
これは鉄則です。

自分自身の深奥から来る導きも、
そういう対話からの賜物ですので、
ぜひ当たり前の習慣にして行きましょう。

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